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No.3-利便性とか合理性だけを追求すると、人の想像力はなくなっていくのかもしれない。という危機感があります。

こんにちは!ステキ女性応援コーチRikaです

めちゃくちゃ私用ですが、先日スマホをAndroidからiPhoneに変えました。もともとiPhoneユーザーでしたが、Androidのカメラ機能向上と価格が安かったことで乗り換えてました。
が、やはりiPhoneのほうが使える機能もたくさんあるし、なによりオシャレに見えてウキウキするので乗り換えです。この時に格安スマホにも変更しましたが、これ、今までは疑心暗鬼で断固拒否!って感じでしたが、別段なにも変わらなくて料金だけ安くなるって、めちゃくちゃいいですね。

いままで何にとらわれていたのか…

そんなこんなで、スマホを変えていろいろ触ってるわけですが、こういったデバイスは「触れば触るほど新しい機能がわかっておもしろい」と思いました。まだまだ使いこなせていないので、テレビにでてくる「iPhone使いこなし芸人」や動画を見て「へ~!知らんかった!」と思うこともたくさんあります。

で、こんな風に新しいデバイス、または新しい作業や新規事業にとりかかるとき。必要最低限のマニュアルは絶対なんですが、あまりに細かく分厚いマニュアルもどうかと思うわけです。
昔、まだガラケー時代だったときには、携帯の機種変更なんて日常茶飯事でしたが、あの分厚い説明書をちゃんと読んだ記憶がありません。触っていれば、なんとなく必要最低限は使えるようになるもんです。

今の時代、「スマホわからん」「わたしには難しすぎる」などとおっしゃる方は、実際に触れてないだけです。もしかしたら、めちゃくちゃ使いこなせる可能性だった充分にあるのに!!!

そして、直感的に使える仕組みを作り上げるときには、非常に複雑な計算や思考が入り乱れ、それをシンプルにまとめる、という技術が必要になりますから、これらを作り出す人はとんでもなく頭がいいのでしょう。一般人には理解できないスピードで物事を考えているイメージです。

と、いうことは、「直感的に使えるようになる」このような楽をするための技術革新の裏には、それに携わっていた人たちのたくさんの「想像力」が込められているはずです。
この想像力は、こんな頭の良い人たちだけが使えるものでなく、子供も大人も、男も女も、みーんなが持っている力です。

「こう言ったら怒るかも」

「こんなことしたら喜ぶかも」

そんな「想像力」を働かせて、人はいろんな環境に合わせて生きていくことができるようになっています。私はここ最近、この想像力がなくなってしまう危機感を感じています。

利便性があがり、合理化され、様々な「無駄」が排他されていく風潮ですが、わたしはこんな「無駄」とか「余白」にこそ、人生の楽しみがあるのだと考えています。
例えば、私は(意外と)インテリアや雑貨ものが好きで、雑貨屋さんを見つけるとつい暖簾をくぐってしまうわけですが、雑貨なんて日常生活の中で全然必要ないですからね。お茶碗とお箸があればものは食べれるし、布団があれば寝れるし、タオルがあればお風呂上り体は拭けます。

でも、それだけじゃなんか寂しいというか、むなしいというか。

生活の中の「彩り」の部分です。
食事にいったときにも、お皿や飾りつけが素晴らしいと、同じものをスーパーで売ってるプラスチック容器で食べたときより「美味しい!」と感じるはずです。

一方で、それは「求めている人がやればいい」ことであって、皆がみんな、そういう風になればいいってもんでもありません。
どこかで「それ、いらないんじゃない?」とか「同じようなものあるでしょ」と言ってくれる人がいるから、バランスがとれるわけです。

どちらか一方が「正しい」でなく、「どちらも正しい」からこそ、「わたしはこう考えるなぁー」などと会話ができることが、素晴らしい時間になるし、楽しくも学べる時間になるのだと思います。こんな時間も、言ったら無駄じゃないですか。自分は自分!って思ってそれが正義だとすれば、そこだけ目指せばいいわけですから。
でも、誰かとの繋がりを求めていくことは、人として当たり前だと思います。いろんな方向から視野を広げてくれる人がいるからこそ、自分の立ってる場所もわかるし、道も選べるようになるのではなかろうか。

などと考えてます。

無駄や余白、余裕。
楽しめるようになりましょう!

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