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【自分歴史】中学校編②

自分自身の振り返りから、前回「一つのコミュニティに固執しない」ということを体感しました。ちなみに、その後何事もなかったかのように部活メンバーからは何もされなくなり、部活動にも参加してましたが、信頼は一切してなかったので部活動の成績としてはよろしくなかったです。笑

ここから高校入試に向けての話です。
どうぞお付き合いください。

中学校では成績がすこぶる悪かったです。

国語がかろうじて人様に見せれるようなテスト結果で、あとは散々でした。数学では取ろうと思っても取れないという、まぼろしの「0点」をとったこともあります…。のび太君やん…。

一方、依頼されたことは基本的に断らずやってたので、先生からの評価はそこそこよかった。成績は最下位レベルでしたが、三者面談でも咎められることがあまりなく、母は「成績が悪すぎるから、先生は一生懸命ほめようとしてくれている」と解釈していたようです。正解です。

中学校2年生のときが一番学校内が荒れに荒れていて、授業中に廊下でダラダラしている生徒がいたり、同級生の暴動騒ぎで新聞沙汰になったり、あきらかに制服じゃない恰好で通学していたり。

そんな中、中学3年生になると「ちゃんと卒業はしたい」という気持ちが芽生えるのか、少し落ち着きを取り戻し真面目に授業に参加している生徒が増えていきました。

私は「高校いっても勉強しなきゃいけないんだよな~」と、父が中卒だったこともあり、あまり進学について真剣には考えてなかったのですが、さすがにこのご時世中卒もな…と高校受験を考えていましたが、なんせ成績が悪い。

そもそも「勉強の仕方がわからない」というタイプの勉強ができないパターンで、誰に聞いても「答えは教えてくれるけど、勉強のやり方を教える」「勉強すべき項目は教えるけど、やり方は知らん」

荒れ果てた中学生活の中、先生たちもカリキュラムを進めることに精一杯だったんだろうな‥と今にしたら思います。

そんな成績最悪、高校に行きたいという気持ちもあまりない時に、身長が高いという理由だけで私立高校からバレーボール部への運動部推薦をもらうことができました。

当時は「え、小論文だけでいいの?やったね★」と、軽い気持ちで高校を決めました。
ここは私の今でも直ってない悪い癖で、トントン拍子でいくなら、きっと自分に合ってるんだろう、と勝手に思い込み、ろくに調べもせずに何事も決定するという世にも恐ろしい癖があります。

当時決めた高校も、仏教学校でした。

※授業に「仏教」みたいなものがあり、授業自体は道徳みたいで好きでした。テストは「あなたが一番死だと思った出来事について」をテーマに、A3白紙のペラ紙にみっちり作文を書く、など。ひいじいちゃんの納骨の話を書いたら花丸もらったな‥点数わかんないけど。

ですが、そんなことも知らずに「ラッキー♪」と決めたもんだから、その後の高校生活はとてもじゃないですが薔薇色ライフとはなりませんでした。

次回は「下準備の大切さを噛み締めた16歳」。
高校生編へ突入します!

ではまた!

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