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応急処置というか。

ここ数日床で寝ている。気がする。2,3時間寝ては用事があれば外に出たり人と話したり、用事がなければぼんやりとYouTubeを流し見ている。その他にニコニコをテレビで永遠に流している。24時間笑い声のループが聞こえる独房にいる。独房というにはあまりにも恵まれた空間であるが、こう、精神的にね。

平日は家でも外でも作業が割り振られる。身にならないような、あのなんかよくわからないけど奴隷がぐるぐる回すアレのような、無意味さだ。(ちなみに原点としては『挽き臼に繋がれたサムソン』という絵が由来らしい。動力が水や風ではなく人力の、臼らしい、ちゃんと意味があるものだった)

私は寝不足と食べるものの偏りと持ち前の精神病に蝕まれ、希死念慮やら一般人の考える自傷行為を通り過ぎて、限界を突破すると、社会的な死へ走る傾向がある。これは本当かどうか定かではない、マンガで見ただけの知識であるが、人間は自殺の一つ手前に、自分の最も大切なものをぶち壊すらしい。根拠となる論文などはそれほど探していない。というか、今日の分の更新をサクッと済ませ、ちょっとでも眠りたい……という駄文である。既存作と駄文を出すばかりで進歩がない。責任感がない。悲しい。話を戻すが、私にとっての大切なものは、社会性なのだろう。

が、まあまあ現在逃亡中の身であり、警察なり病院に捕まるわけにはいかないので、私は合法的に自分の社会性を破壊するための場所に行く。(当然合法的な店であり、自殺幇助をするための場所でもない。私の中の社会性でしかないし、その店は極めて健全に経営されている)

と、どこに行くのかだけ伏せ、何か問題がある、裏路地でアカンもんやらスジモンやらと思われてしまうと困るので打ち明けると、ハプニングバーである。(今は会員制のバーと呼ばれているようだ)きちんとその中では規律があり、当然無理強いもなく(なくはないが、そう見られるものがあればバーテンが飛んできて止めてくれるのだ)安全に楽しめる場所である。

最初の一回は資料のために行ったのだ。出来る限り知らない世界は知っておきたいのが創作者である。(岸辺露伴ほどぶっ飛んではいないが)それで、自分から遊びに行った。正直な事を言うと、そういった店において女という立場は、客寄せパンダであり、人身御供である。だから大事に扱われる。大事に扱わない店もあるので、まともな店を紹介された事は非常に運が良かったと思う。(大体そういう場所へドナドナと引き摺られるときは、事前に調べる隙がないのだ )

女が優遇されているわけじゃなく、女を商品として扱っているから、それなりに振る舞う。対等である事を掲げているし、それほど不快な思いをしたわけではない(現にリピするわけだし)が、商品として振る舞わなければ、当然居心地は悪くなる。というより、どう足掻いても『商品として見られる場』である。安く遊べる代わりに、一緒に行った男が他の男に私を差し出し、終わったら次の男がちゃっちゃと出番を待っていた。(時間切れだった)そういう世界だと理解した。

そういうところへ飛び込むことで、私の自殺は一度ずつ完了する。これは私にとっての(比較的)安全な自殺である。社会的規範にとらわれず、人前で裸になり、知らない人にもみくちゃにされ、好きなようにセックスをして、好きなように扱われるというのは健全な死なのだ。三つ編みメガネ膝下スカート委員長タイプの女の行き着いた結果である。

おっと乗り換えだ。眠りそびれてしまった。


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