見出し画像

OTN組コラボの空気が美味しくて生きるのが楽しい

OTN組コラボのアーカイブをよく見ている。2022年ににじさんじにハマり出した自分が、2018年頃の配信に今更入り浸っている。

もっと早く知っておけば、という気持ちはある。でも良いものはいつ見ても良いのでそんなに気に病んではいない。

とにかく雰囲気がいい。視聴者を楽しませる、というベースはありつつも、「ただ楽しくお酒を飲んでいるだけ」なのが素晴らしい。助かる。

今のにじさんじは、案件配信多めになり、コンプライアンスも厳しくなった。それを悪く言いたくはない。「昔は良かった」と言うのはものすごく簡単だ。でも挑戦し続けているからこそ今がある。それは本当に尊いことだ。

それはそれとして昔の配信の良さを味わえるのはありがたいこと。存分に堪能させていただいている。

ミュージシャンに対して「昔の〇〇という曲が好きです」と言うのは失礼に当たるらしい。だからここでひっそりと言わせて頂く。OTN組コラボありがとう。


あらゆる言葉は他人に対する働きかけである。その意味で、言葉は権力の行使であり、政治であるとも言える。

平たく言えば、あらゆる言葉は「他人をどうこうするため」の強制力として発される。

「ただの雑談」はそのような強制力が低い。そしてYouTuberやVtuberの配信で本当の意味での「ただの雑談」を聴けることは実は稀なのではないかと考えている。配信だってタダでやれるわけではないのでそれはまぁ仕方ない。

OTN組コラボにはただの雑談がある。そしてただの雑談には人を癒やす力がある。なんでかはわからない。もしかするとほとんどの人は日常的に「他人をどうこうするため」の言葉に晒され続けているせいで疲弊しているからかもしれない。


OTN組コラボを通してSeeds1期生(+舞元力一)をすっかり好きになっている。Seeds24時にも似たようなバイブスを感じた。この良い印象が、今も彼ら彼女らをフォローし続ける原動力のひとつになっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?