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自己紹介!!!

初めまして!!!今年からパーソナルトレーナーとして大分にて事業主デビューした、塚田と申します⤴︎⤴︎
1986/12/27生まれであります🐶✨
関東の群馬というところから、大分に越してきてまして、
こんにち、パーソナルトレーナとして独立させて頂いてるのですが、
この職種を選んだきっかけを一つ、お話しさせていただこうかと思います。



パーソナルトレーナーを志たきっかけは、2階からの真っ逆さまのダイブ(笑)でした。


僕が30歳ちょうどの頃に、前職だった建築関係のお仕事に勤めていた頃、
うっかり二階から足場を崩し、頭から転落してしまいまして、、、(笑)
この時点でもオオゴトかつとんでもないのですが、そこからまぁなんと言いますか、危機的状況の最中、どうやら落下中に体制を立て直したみたいでして、どうやら落下中頭から落ちたはずですが、そこから空中で体制を立て直し、水平に落下。見事体ごとダイブし、頭からの致命傷は避けられたものの
、幸か不幸かその「ダイブ」の体制からのダメージが深刻で、診断が、先ず「右踵、骨折」「左右爪先骨折」さらにここから、「左眼底骨折」極め付けは、「左大腿骨複雑骨折」と、三連単どころの騒ぎじゃない(笑)
当時言い渡された治療期間は、なんと全治一年。
実際のリハビリ期間を入れると、なんやかんやで一年と約半年はかかったのかな?


医者からの宣告



まぁかくして、完治までの道のりが始まったのだが、まずお医者様に一番最初の第一声は
医者「これはもう、走ることはおろか、いいところ元のように歩けるようになるのが関の山かなぁ〜。。。」

僕「・・・ん?なんだって?」

その時のお医者さんのお話し曰く、どうやら人間の一番太い骨である、足の付け根の大腿骨の骨折を重くみていたみたいで、かなり強い衝撃で、大腿骨に衝撃がきたものだから、その衝撃により、ただ折れただけでなく足の筋肉の中が炸裂したように骨のそれが飛び散り、中の筋肉の組織がズタズタになっておりその結果、金属でつないで、まず歩けるようにはなるが、あくまで最低限の歩行というボーダーラインでの保証のみで、もしかしたら変な癖がついたり、最悪走れるようになるにしても、以前みたいな動きなどは、ましてや中に金属のプレートが入ったままならなおさら癖がついたり引っ掛かりが出て、元通りの機能として復活するには難しいとの事。。。
僕「・・・・・。」



「冗談じゃない。」

その言葉が脳裏に浮かんだ刹那、思わず口に出た。そこからは元に戻りたいが為、死にもの狂いで調べ、「リハビリ」と称した
自身に架っした、拷問のような「鍛錬」がスタートした。
先ず調べるにあたり、情報を収集する手段が、お医者さん、その当時担当して頂いた医学療法士さん、それにその当時型落ちしてギガ制限いっぱいのdocomoのXperiaが一つ。
僕は必死に彼らに聞き勉強した。
勉強しつつ、その当時の微妙に型落ちたスマホで並行して情報を集めつつ、整理した。
どうやら、折れた骨を立派に戻すには、意外にも「治っている最中にある程度の負荷をかける」といいらしい。
はぁ〜、、、完治してからじゃないんだ〜と思いながら情報を整理した。
まず、骨もそうだが、手術で金属を入れた傷口も全く動かないままだと傷自体の収縮で筋肉の可動域が悪くなるんだとか。
その収縮した状態で傷が塞がった場合、極端に言えば固くなって動きが悪くるんだとか。
なので、ある程度の負荷と運動を加えつつ、傷口をほぐしていかないと良くないと。
その間に先ほど前述した「負荷」も加えないと、骨も丈夫にならないし、尚且つ筋肉そのものもどんどん衰えていくわけだから、そこも気にしなければならない。

そして、リハビリが始まった。


そこで僕が行ったのは、足のリハビリや歩行訓練はもちろん、その時点では足を主にやられてるわけだから、当然車椅子である。だから必然的に懸念すべきは足だけでなく、何もしなければ上半身も衰えていく。
僕は今ある動ける上半身だけを病室で筋トレし、鬼のように鍛えた。
鍛えて鍛えて鍛えて、なんだったらドラゴン●ールだか、ワ●ピースだかの登場人物がごとく、逆立ちして腕立てなんてのもやった。
元は筋トレもそこそこしていたし、
何よりそうでもしないと、暇を持て余したものだから、落ち着かないというのもあった。
そうこうしてるうちに、並行して足のリハビリも行い、やっとある程度(まぁまだ制限はあるものの・・・。)足の筋トレに取り掛かろうとした時に最初の難関に差し掛かった。

痩せ細った脚。

人間、何もせずにいると、最初どこから衰えていくかというと、
ズバリ足であった。
その間、足の太もも、ふくらはぎのサイズを測りつつ様子を見たが、3〜5ヶ月で太さが共に3~4cm、半年から8ヶ月ごろには5〜6cmも縮んでいた。
その頃には、多少のスクワッド程度ならできるようにはなっていたが、もちろんそこまでハードにはできない。
加えて9ヶ月差し掛かった頃には拔釘手術(中のプレートを抜く手術)が控えていた。そうなるとまた傷口を切開する必要があり、再びリハビリしつつ安静しなければならなかった。
僕は焦った。焦って不安に駆られた。

ダンベルとの出会い

その後も自重での筋トレと、リハビリを繰り返してはいるが、
ある程度傷口は塞がったが足の筋力が弱っているのを感じた。
そこから効率的に元に戻す方法は何か無いか何か無いかとさらに調べを進めた結果、ある一つの結論に辿り着いた。
「負荷が弱い。」鍛えてる頻度こそ多いものの、一つ一つの負荷をかけるにあたり、腕立てやスクワットなど、自重だけだと限界がある。
例えば、先ほど例に挙げた、腕立てなど、体重の2/3の負荷量。70kgなら、
凡そ50kg前後の負荷でトレーニングするわけだが、50kgと聞くと一見して結構なボリュームに聞こえるが、例えば胸を鍛えようとした時、ここから腕のポジションを大きく開く、ワイドプッシュアップを行うわけだが、その時も例外ではなく、50kgの負荷がかかる。
・・・が、50kgということは、単純に見積もって、片方の胸部に25kgの負荷になることになる。普通の人からすると、25kgでも十二分に聞こえるが、体重70kgの人間に対して胸部25kgは、はっきり言っていささか心許ない。
脚に対してのスクワッドも同じである。数をこなせばそれなりには筋量は増えるが、結局のところ脚を負傷しているわけだからそこまで頻繁にできない。ではどうしたらいいかというと、従来だと低い負荷で、高回数というイメージがデカかったが、その逆。高い負荷で、低回数という結論に達した。
ではさらにどうしよう、、、どうやら自分より重たいものを持つことがいいらしい。。。僕は松葉杖片手に、弟にせがんで車を出してもらい、手始めにホムセンで20kgのダンベル2本セットを買った。


続く。

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