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1世紀前に2年半だけ使われた廃線跡を見つけ出す。
上田電鉄別所線で、1920年代に2年半だけ使われた線路跡を新たに発見したのでそのまとめ。
上田電鉄?
上田電鉄は、長野県上田市で上田〜別所温泉間11.6kmの別所線を運行する鉄道会社です。
1920年に設立された上田温泉電軌が前身で、別所線は青木線の一部と川西線に由来します。
目的の廃線部分はどこなのか?
上田〜三好町停留所(現在の城下)間の、千曲川橋梁〜軌道線への取り付け線路です。また、道路外にあったとされる三好町停留所も含まれます。
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これがどのような線路かを理解するには、前身の上田温泉電軌の線路の変遷について知る必要があります。
上田温泉電軌の線路の変遷
上田温泉電軌が、現在の別所線を構成する青木線と川西線を開業させたのは1921年。信越本線上田駅と千曲川を渡った西部の温泉地を連絡する事がその目的でした。
しかし、開業時は資金的問題により千曲川橋梁を架けられず、暫定的に川の手前にある三好町停留所(現在の城下駅に相当)を終点としていました。
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1921年の開業当時のルート。赤が青木線、オレンジが川西線。
また、当時設立された多くの地方私鉄がそうであったように、三好町〜上田原〜青木間は、道路の一部にレールを敷く軌道という形をとっていました。
その後、資金が確保できたために1924年8月に千曲川橋梁が完成。三好町停留所は終点から通過駅となります。
さらに、1927年12月には三好町〜上田原を専用軌道化(いわゆる線路化)し、三好町停留所は城下駅と改称して専用軌道上に移転しています。
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2年半だけ使われた区間?
これらの経緯を踏まえると、三好町停留所が通過駅となった1924年8月から、専用軌道に切り替わった1927年12月までの2年4ヶ月間だけ使用されていた区間が存在することがわかります。
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この区間と三好町停留所については、廃止から100年近く経過していることと、付近の急速な宅地化により、物好きの間では「完全破壊され残っていない」というのが通説でした。
今回、航空写真と三好町自治会の自治会史、実地調査を行うことで、線路の築堤の一部が残っていることが判明しました。
航空写真から線路跡を探す
まずは航空写真から、現在の別所線と廃止区間の接続箇所がわかるものがないか探します。
とはいえ、軌道線のあった道路は、拡幅と道路橋建設による線形変更がなされており、それ以外の場所も宅地化により全く不明な状態です。
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そこで事前調査として、この地区の自治会が発行していた「三好町史」の店舗図から、三好町停留所の位置が、旧上田飛行場への道路が交わる交差点の向かいかつ、用水路の北東側であったことが判明しました。これは現在の三好町一丁目交差点の南東側となります。
これで廃止区間の一方の端が判明しました。
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しかしながら、「三好町史」には、鉄橋完成後の店舗図や、詳細な地図はありません。
そこで、国土地理院の地図観覧サービスから過去の地図と航空写真を確認していきます。この地域は、1927年発行の5万分の1の地図と、1946年に米軍が撮影した航空写真が残されていました。
地図に関しては、千曲川堤防からすぐにカーブする線形が記載されていましたが、堤防付近に諏訪形停留所が設置されていた事を考えるとやや不正確と考えられます。
そこで、航空写真を参考にします。
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上が千曲川。
1946年は廃止から19年経過していますが、かつて線路があったと思われる痕跡が確認できます。
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赤で囲った部分の田んぼだけ向きが異なり、別所線まで続いていることがわかる。
この痕跡は、先に確定した三好町停留所へと続いているため、線路跡の可能性が高いと考えられます。
これにより、廃止区間のおおよその線形と、別所線との接続箇所が確認できました。
1946年の航空写真と、現在の航空写真で接続箇所を確認すると、現在も一部に築堤の片側が広い箇所があることがわかります。
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現在の線路から直角に伸びている土地割は、1946年から変わっていない。
続いてこの区間の前面展望動画を確認し、この場所が築堤の斜面ではないことが確定=線路跡であることが確定しました。
多分これが一番早いと思います(RTAではないにしろ)。
現地で線路跡を探す(発見)
続いて現地で他の遺構の確認を行います。
まずは、築堤から確認を行うため、別所線城下駅から千曲川の堤防に向かいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1693237453208-qIvVGEBMeO.png?width=800)
撮影はできましたが、茂みとなっており高低差がわかりません。
堤防上からの確認は難しいため、今後は城下駅の東にある踏切付近に向かいます。
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ここだけ現行線と同じ程度の高さに土が盛られている。
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実際に確認したところ、この部分は築堤の斜面ではなく、平面であることが確認できました。
また、予想される線路跡に近い形でカーブしているため、この部分が2年半で廃止された線路跡であると考えられます。
また、同じ踏切から少し離れた道は、宅地にしては不自然な角度で分岐する形となっています。
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こちらについても、線路跡の一部が道路化された物であると考えられます。
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さらに少し離れた道路との交差ポイントでは、線路跡が畑として利用され続けている箇所を確認できました。
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この他に遺構が無いかの確認を行いましたが、2023年現在、線路跡として残るのは以上の3件のみでした。
現地で停留所跡を探す(失敗)
続いて三好町停留所跡を探します。
こちらについては「三好町史」において、用水路の書かれた店舗図と、ホームの拡大写真が掲載されているのみのため、おおよその位置の推測のみとなります。
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![](https://assets.st-note.com/img/1693239994383-bx1simZ929.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1693239995756-pwLAojjlRk.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1693239995143-tSJqGEk8Am.jpg?width=800)
以上のように、三好町停留所についてはその痕跡が完全に消滅しています。
ただし、住宅地図などで土地権利の境界を調べれば、判明する可能性があります。
以上が現代に残る1世紀前の2年半だけ使われた線路でした。
参考サイト
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