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ぐちゃぐちゃな感情の整理。私と私の会話

自分が大切にしているものだったり、長年自分で自分なりのやり方を構築してきたものだったり、私は「私なり」のやり方や気付きをとても大切にしていて。それらに関する所有欲や縄張り意識がとても強いのだと改めて痛感させられた。

これを痛感したとき、自分がとても浅ましい生き物であるかのように感じてしまって、惨めな想いに支配され、一人泣きながら怒りが込み上げてそれがまた悲しくて放心した。
出来れば大切なもの同士を天秤にかけるようなことはしたくないけど、人生なんか比べては選ぶの繰り返しだしなって自分を慰めてみたり。選ぶ時はなによりも自分の気持ちを優先に、私が行う行為に私自身が満足できるように…そう思いながら目を閉じた。

怒りに任せて荒れ狂うのも違う。大切なもの同士を天秤にかけるのもいやだし、もしかしたらちゃんとそれぞれと向き合うことで状況の整理ができないかと期待した。でも期待は私の他へ対する「そうあって欲しい」という希望の押し付けでしかない。それを思うと色んな感情を違うことで逃しながら折り合いをつけるのがきっと大人のすることなんだろう…

はぁ…

深いため息をついて考えるのをやめた。
苦しかった。考えたくなかった。
自分のドス黒い感情と向き合うのがしんどくなったから、それを心のいつもの場所に置いてその場を離れた。

その場を離れたらきっとこれまでと同じことになってしまう。置き去りの私の感情はそこでドロドロと腐敗して私の良いところをもさえ侵略し蝕んで長い時間私を苦しめるそれになる。

次の日の朝、私は所有欲も縄張り意識もなかったことにした。もうでも、所有欲も縄張り意識も刺激されないように自分のとる行動には気を付けようと、そう思った。私は感情をドロドロに腐敗させることを選んだわけだ。何かしらの方法を後で見つけよう、だから大丈夫と私に言い聞かせて。

何も無かったことにしたら、案外朝はいつも通りで。なんだ…案外平気だななんて、珈琲を焙煎しながら思って、そのあとゆっくり珈琲を飲んだ。何ならいつもより静かで、キーンって静寂の音がしそう…って思う自分に、ふふふって笑ってしまった。

笑えたからきっと平気だよ。

そう言ってくれる私の声。そうだ、大丈夫。そう思う私。

でも結局向き合ったんだけどね。
大切なものを手放す選択はしたくなかったけど、私はひとつ手放した。そうする価値があるとそうしたいとその時に思えたから。

もしかしたら、少し後にやめておけばよかったと思う日がやってくるかもしれない。
もしかしたら、手放して良かったと心から思う日が来るかもしれない。

いずれにしてもその時はその時。
また今日みたいに私と私で静かに会話して、ドロドロを眺めたり動かしたり、置き去りにしたり試してみたら良い。

私と一緒にいてくれる私は、他の誰かとは違って何があってもずっと一緒に私のことを大切に考えてくれるのだから。誰よりも私の味方なのだから。

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