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笑えなくなった私が笑ってもいいかなと思えるようになって。

メンタルダウンして一番困ったこと。働けなくなる前だけでなく、結構長い時間「普通に笑う」ということが難しくなったんです。

人が怖くなったきっかけ

考えてみれば当たり前だけど、一緒に働いている人が自分にとって危険人物になってしまい、この人は大丈夫だろうか、あの人は大丈夫だろうかと毎日毎日ビクビクしながら生活していたら、人が怖いという感覚に怯えるようになってしまいました。今はそんな感覚に陥るのは仕方ないと思えるけど、当時は何かおかしい。私がおかしくなってしまったみたいな感覚になっていて。今になってやっと「怖い」と思う感情が沸き上がること自体は特段おかしなことではないんだなって思えるようにはなった。

もう笑うのをやめてしまおうと決心したら

さて。人が怖くなって初めはそれでも無理して笑っていたんだけど、無理していたから毎日毎日しんどいし、苦しいし、疲弊して家に帰ったら何も残らない燃えカスみたいな自分になっていました。
それだと、何も出来なくなってしまうから、ある日私はもう無理して笑うのをやめてしまおうって決心したのです。そしたら楽になれるだろうって思っていたけど。もしからしたら楽になれた期間があったのかもしれないけど、実のところ、孤立化して逆にしんどくなった

多分この時点で私は仕事を休む選択をした方が良かったんだろうけど、それもできなくて、何とか続けていく方向で出来ることはないだろうかと考えて、出した結論がこれ。きっと私の精一杯だったんだよなって思うと、責める気持ちにはなれないけれど、もし、自分が置かれている状況が苦しかったりして、笑うことを自分からやめようと思っている人がいるなら、私は間違いなく「笑うのやめるんじゃなくて、人生一回お休みしてみない?」と提案すると思う。笑うのやめたくなるのって、相当気持ちが疲れてしまっていると思うから。

実際に笑うのをやめたらどうなったか

笑うのをやめると、まず人が離れていく。そりゃそうだよね。一緒にいてもきっと楽しくないだろうから。
次に、年上の人からは愛想がない可愛げのない奴だと思われたり、年下からは怖い人かもしれないって思われたりする。相手から声をかけてもらう機会がぐっと減るってことです。
最後は、今まで以上に自分自身が楽しさだったり嬉しさだったりを感じにくくなってしまった気がします。
笑えるに越したことはありません。笑えるうちは笑っていてください。
笑うのがつらくなったり、やめたくなったりしたときは、きっと身体からの最終警告くらいのレベルで心身ともにクタクタかもしれません。ちゃんと自分を労わって休んであげてください。

また笑ってもいいかなっていう日がきた

私は働けなくなって1年半くらいでやっと「もう笑ってもいいかな」ってふと思った日があって。今まで口角上げると脳のホルモンが~とか言われても絶対にそれをすることもなかったし、出来る気もしなかったけど。突然降ってわいたように「笑ってやってもいいかな」って思う日がきて。普段の生活で夫と話していて笑ったりすることもあったけど、多分それらとは違う「笑う」で。自分を鼓舞するための笑顔だったり、お客様に見せるための笑顔だったり、ちょっとだけ背筋の伸びる「笑う」のことなんだと思うんだけど。それをしてもいいかなって・・・。今思えばそれって、小さな変化だけど、大きな一歩を踏み出すためにとても必要なことなんだよなぁってこと。

鏡の前で笑ってみた

「よし。笑ってみよう」って鏡に向かって笑顔を作ってみて。自分で自分がちょっとくすぐったくて、「キモい」とか言ってみたりして、それでまた笑って。やっと社会に戻れるかもしれないって思ったら涙が出た。

本当は笑顔でみんなとうまくやりたかった

私は本当は笑いたかったんだと思う。他の人たちみたいに愛想笑いでもできればよかったのかもとも思ったこともあったし、あの時笑いながら、もう少し優しい言葉で注意出来たらよかったなとか、「鼓舞笑顔」がなかなか作れなかった自分がいた。多分苦手だった。表面的な笑顔だから。
でもね、病気だったんだから、疲れ切っていたんだから、そういう笑顔が作れなくて当然だった。感情労働っていう言葉があるくらいだもん。それの一部分にもなることだと思うし・・・。
だから去って行ってしまった人たちはもう元には戻せないけれど、今から出会う人たちには、心からの笑顔も鼓舞笑顔もちゃんと見せられると思うから。だから多分、私の「笑いたかった」は少しずつ叶えられていくと思う。無理してじゃなくて、自分のためにそうしたいという気持ちで。

こういうことが、過去を後悔(笑えなくて孤立した)するのではなく、今に集中して(笑顔を作って)、未来を憂慮(また笑えなくなったらどうしよう)しないっていうことなのかもな~って一人思いました。その考え方こそがマインドフルネスなんだよね、きっと。

少しずつ私の認知のゆがみも修正されてきているんだな。
これから大きく変わっていける気がします。

SNSやnoteが私にくれる癒しの力

なんかnote書いていると、誰かに宛てたつもりで書いていても、自分宛てになってしまってたり、誰か宛は誰か宛なんだけど、私自身が気付きを得て癒されたり、自分の中の問題が解決されたりする。不思議な時間を過ごしています。

多分、Twitterやnoteに出会わなければ、気持ちの整理や人間関係の構築や、そいういったことを修復していく力が今よりもきっと小さかったと思うのです。ただスキを押してもらえるだけでも、コメントもらえるだけでも、温かいつながりを感じられるだけで、それが私の中でとても大きな力になっていきます。本当は私は人が好きだったよなとか大切な人もちゃんといるよなっていう、本質的で基本的なことを思い出させてくれる。
そういう場所になってくれて本当にありがたい・・・。
これからもそういう場所であってくれるといいなぁ・・・。

そんなわけで今日はここまで。
今日も読んでくれてありがとう。私は人が好きだったことを、笑顔を取り戻して思い出しました!そしてそれはスキを押してくれたり、記事を読んでくれたり、コメントをくれたりする皆さんからの優しい力の後押しのおかげでもあります!ほんとにありがとうございます。

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