働くために生きているわけじゃない、生きるために働いているということ。
今このタイミングで、まさかこのハッシュタグを目にするとは思ってもみなかった。「#はたらくってなんだろう」って・・・。私にとってここ5~6年は「なぜこんな思いをしてまでここで働かなければならないのか」ということの連続だった。いつも他人の評価が気になって、なにもかもやらなきゃいけない羽目になり、一人で抱え込んで潰れてしまって、助けも求められず、助けを求めてみても現実的に求められる救いもなく、ひたすら歯を食いしばって働いた。周りから見れば滑稽だっただろうが、私にとってただただそれが出来なければ自分自身が存在しなくなってしまうのではないかというくらいに必死の毎日だった。死んでもやらなければって、そんな風に働いていたのかもしれない。
そしたら、自分が壊れた。私にとっては地球最後の日くらいに壊滅的に壊れてしまった。人生丸ごとやめたくなって、仕事に向かう朝になると、どうやったら行かずに済むかとか、それが行き過ぎると「ここで死んだらもう仕事なんて行かなくて済む」となり、あえなく仕事を休むこととなった。
活字が頭に入らず、それでも脳の中に蓄積された知識とこれまでの経験で、座るのもやっとなはずなのに、そんな状態でもお客さん相手に笑顔で、必要とあらば1時間コースのクレーム対応も「他の人じゃできないから」という理由で対応した。そんな風に扱う上司や同僚を鬼だと思った。その時はそう思ったけど、今考えてみればそうなっても仕事していた、対応していた自分が悪いのかもしれない。段々と冷静に考えることも出来なくなって、私の中ではもう地球は爆発して何度も無くなっていて。みんないなくなってしまえばいいのにという願望を心の中で叶えてしまったりしていた。
そんな風になるまで頑張った職場は、頑張らされた職場は完全に私の中でトラウマ化してしまっていて。いまだに怖くてたまらない。
そもそもこんな風になるまで頑張ったらいけなかった、その手前で休まなければいけなかった、今ならわかる。そうした方が良かったと思う。
この経験で唯一私が褒められるべきは、最終的に(ほぼやむを得なくではあるけれど)休むという選択が出来て、さらにちゃんと今日まで生きていたということだ。何度か死のうとした。いや、何度も死のうとした。
それでも生きてる。今はちゃんとこうやって、文章を書けるくらいまでに回復して、生きてる。
働くことって、自分の人生基盤になる部分に大きく影響するから、ついつい見失いがちだけど。生きること=働くことではないことは、絶対に忘れてはいけないと思う。私自身自分のこの経験を通して、それは至極大切だと感じている。働くことが目的になってはいけない。そうやって生きたい人はそれでいいと思うけど、私はそれではダメだった。働くことが大きくなりすぎて、働く世界が自分を丸ごと埋め尽くしてしまって、その世界での自分の存在意義=自分の価値になってしまっていたから。
私は声を大にして、自分の価値は働くことや職種、社会的地位に左右されるものではないと、叫んで同じように苦しい思いをしている人に届けたい。はたらくってね、生きるために必要だけど、必要なだけでそれだけで人生が満たされるものではないんだよ。
あくまでも、働くことは生きるために必要な一つの項目にすぎない。
働いている世界だけが自分の世界じゃない。
それ以外の世界の方が大きくて、その組織を出てしまえば、その組織の中でしか通用しないことにも気付くだろうし、上司もただの年上の人に変身してしまう。部下もただの若者だ。
でも、自分は違う。自分はどこに属していようとも、どの世界を生きようとも無関係になったり、ただの人になることはない。
自分の人生を生きているわけだから、それだけは変わらない・変えられないことだと逆に気付かされるだろうと思う。
はたらくってね、私にとっては大切な手段の一つではあるけれど、手段であって目的ではないことを忘れずに、うまく使っていこうって、そういう意識だけは忘れずにいたい。
そうじゃなきゃ、はたらくことはすぐに私を錯覚に陥れる世界へ連れていこうとするから。
ちがうちがう、私は生きるために働いてるんだったって、ことあるごとに思い出すの、すっごく大切。人生はみんなそれぞれのもの。はたらくって人生の一部でしかないんだよ。だから、自分で、いつでも、好きな働き方を選んでもいいよって私に声をかけてみる。
私は今日も生きています。