「学生での学び」と「社会での実務」が結びつかなくたって

決断の意味を再考する

「院に行っておいて住宅をやるのは毛頭ない」
と、Aさんは言った。

あれっ。なんだ?
覚悟を決めたはずなのに、その言葉を真に受けてしまった自分が一瞬だけいたような、いなかったような。


建築の就活事情に詳しくない人のために念のため説明を加えておく。大規模建築に携わることのできる大手ゼネコンや組織設計事務所の設計部は大学院生から採用するのが一般的だ。そして自分の大学では、大学院に進学後ゼネコンや組織設計事務所を中心に狙って就活する人が多数を占める。
自分の大学に限らず、他の大学でも大手ゼネコンや組織に行くために院進する人は一定数いる。そして、住宅を選ぶ人は少ない。


それでもやっぱり、

使う人と依頼者が一致して使う人とダイレクトに関わることができる住宅をやりたい

と思った。それは、
間違いなく自分の決断で選んだ道だ。

そして大学院への進学も、
間違いなく自分の決断で選んだ道だ。


それを否定されるということは、まるで自分の人生の大部分を否定されているようにも感じてしまって、あんまり心地よいものじゃなかった。

だけど裏を返せばそれはきっと、まだ心のどこかで自分の選択に納得しきっていない部分があるからだと思う。もし納得しきっているのなら、誰にどんなことを言われようがノーダメージの自分を保てるはずだから。


「大学院を出るけど、住宅をやりたい」


人にどんなことを言われようが自分は自分の決断を信じ抜くために、もう少し自分の過去を振り返って、これまで書いてきたnoteとか(下書きに戻したものとか←笑)を読み返しつつ、この自分の選択にどんな意味があるのかを考え直したい。

後付けだっていいじゃないか。
「大学院ね、あれあんまり意味無かったよね」 
って言いながら卒業するよりよっぽどいいじゃないか。

自分のこれまでの人生と決断を肯定したい。


そして結果的にこの文の一部でも、今悩んでいる、あるいはこれから悩む誰かの励ましになればなお、嬉しいです。


「豊かさ」を増やしていくこと

大学で得る知識と、社会に出てこなす実務の知識には乖離がある(どの分野でも言われる話なのかもしれない)。

「じゃあ何のために大学に行くの?」
と思うのは自然な思考だと思うし、
「大学院はもっと無駄だよね」
と思ってしまう気持ちも分からなくは無い。

一方で、乖離して当然じゃないか、かけ離れててもいいじゃないか、とも思う。

(自分が言うのはちょっと気が引けるけど)大学というのは、あくまで研究機関だ。ここでの「研究」とは、新しい理論や考え方を生む、という広い意味で。そして、学部で受ける教育は、そうした研究に興味を持つための「導入」あるいは「基礎知識」だ。実務に繋がる実践的な知識じゃない。

そして大学院は、導入や基礎知識を使って、論という新しい知識をつくる場だと思う。ただ、その論そのものは自分の実務に活かされないことの方が多い。でも、その過程で身につく論理的な思考、ものごとの考え方、自分独自の思想は、どこかでじわじわと力を発揮するだろう。

それがどこでなのかはわからない。でもそれで良い。学びが活きる場面というのは、必ずしも知識と実践が一対一対応になるとは限らない(ある先輩の言葉)。

知識自体が役に立たなくても、思考力やそれを得たという「実感」は、自分の自信や心の豊かさになると思う。


ちょっと話を逸らして、「豊かさ」を掴むためにもう少し深堀り。ふわっとしていたわたがしから、ちょっと握れるモヤッとボールくらいに。でもモヤッとはしないように。


「学のある笑い」が好きだ。よく大学の同期とまちを歩いている時に、
「ここは〇〇のノードやな」
「パスはこのアーケード」
「ディストリクトは〇〇(歓楽街)笑」
「実はセブンがランドマークだった説笑笑」
こんな話をしてけっこう盛り上がるし笑える。わかる人はわかる、「都市のイメージ」の話。

何に活かされなくたって、「わかるという実感」が人生を楽しくするし、「豊かさ」を感じさせてくれると思う。

クイズが好きなのだけど、知識を入れること、わかるということがそれだけで喜びを与えてくれると思っている。ほら、スリランカの首都をスラスラ言えるとなんか嬉しい気持ちになったりするじゃん?あんな感じ。

はい!それ!
スリジャヤワルダナプラコッテ!!


逸らすって言ってめっちゃ逸らしちゃった。
話を戻すと、大学で得られる知識自体は実務に活かされないけど、それで当たり前。その過程で得られる、

  • 論理的な思考

  • 物事の考え方、思想

  • 知っている、わかるという「実感」

が、自分の人生に豊かさをもたらすと思う。


決断は誰かと比較しなくていい

そしてもっと冒頭に話を戻すと、Aさんの
「院に行っておいて住宅をやるのは毛頭ない」
という言葉に対して、「豊かさ」という考え方を持つことで、揺るがない自分を保つことができる。

大事にしたいことが他人と違うなら、決断もまた、誰かと比較する必要は無い。

Aさんには、自分の道を否定されたように感じた(そんなつもりはなかったかもしれないけど)。でもだからと言って自分はAさんの考えを否定し返したりはしない。Aさんにとっての、人生の重要なことが「仕事や実務」であった、というだけだ。

自分の中のそれは、「院でしかできない経験」であり、「そこでしか出会えない人との出会い」であり、「知っている、わかるという実感」であり、それが与えてくれる心の「豊かさ」なのである。それと、住宅をやりたいという気持ちは全く別の問題なのだ。




「大学院を出るけど、住宅をやりたい」

今日から改め、

「大学院も出るし、住宅もやりたい」


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