最近考えていること

「俺の墓はアイスの棒1本でいい」

父がよく言う言葉。

「せめてアタリにしとけよ」

とも言っている笑


これ、ふざけているようで実は、
大事なことを言っているんじゃないか?

葬式とか墓とか、社会のしきたりみたいなものが、少子高齢化、核家族化のような社会状況の変化の中で重要な意味を持たなくなってきた。

たくさんの人が葬儀に参列していた少し前の時代は、豪華な葬儀にすることで世間体を繕う、ということがあった。

「家族葬」という言葉が生まれたように、儀式が小さくなって参列者が少なくなってきた今、それはただお金がかかるだけの余計なものと思われるようになった。


墓もそうだ。

家系や社会の繋がりが薄れたことで、墓を継承して守っていくていくことが約束されなくなっているのに、「○○家の墓」にウン十万、百万かけたって仕方ないのだ。


「俺の墓はアイスの棒1本でいい」

いろんな余計なものを削ぎ落とした結果としてアイスの棒が残ったのだとしたら、それが重要なものなんじゃないか?

お墓に魂はない。いや、正確に言うと、お墓にもいるし、どこにでもいると考えることができる。故人がどこにいるかは、自分たちでどこにでも想像できる。それはそれぞれの想像力次第だ。

家の中で乾かしていた皿ががひとりでにカタッと動いた時、「○○が見に来てたのかな」と、故人の存在を想像することがある。故人を思い出して、仕事や勉強をもうひと踏ん張り頑張ってみようと、生活の原動力になることが重要なのだし、その引き金となる何か「もの」さえあればいいということだ。


自分だったら何がいいだろうか?今のところ、父のアイスの棒以上に良い表現が思いつかない。

一旦ここでやめます、また追記更新するかも。

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