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自信はなくてもいいから、誇りを持って。

自信がありません。自信がないからできません。

…って、SNSを少し開けばすぐに見つかるワードで、1億総自信がない時代なんじゃないかと思ってしまうレベルだけど、個人的には生きて行くにあたって自信があるかないかなんてどうでもいいと思っている。

自信よりも失っちゃ行けないもの。

それは、自分自身に対する「誇り」だ。


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「プライドが高い」って、あまり良いイメージで使われる言葉ではないけれど、個人的には「プライドが高くて何があかんのん?」と思っている。

もちろん、人間関係を必要以上に困難にしたり、自分の成長を著しく阻害するようなタイプのプライドもあって、世の中一般的に「あいつはプライドが高いからな~」なんて揶揄されるときは、その種のプライドを発揮してしまっている場合のことを指すのだろう。

もちろん私がこの場で取り上げたいのはそのタイプのプライドではない。

じゃあどんなプライドかというと、

自分の意思を自分で尊重し貫けるプライド。
自分が大切にしていることを他人から冒涜させないプライド。
不当に扱われたときに、それに甘んじないプライド。

そういうプライドだ。


例えば、私は自分の仕事をとても大切にしていて、毎日自分なりに一生懸命取り組んでいる。

だから、私の仕事を変にけなしたり、仕事環境を邪魔する人が現れたら私は全力でその人に抗議するだろう。

20代の頃にうっかりブラックな職場で働いてしまったことがあるが、人を人とも思わないような環境に置かれることに嫌気が差し、その職場を辞めた。

短期間で離職したことにあーだこーだ言う人もいたが、私は悩みながらも離職を選んだ自分に対して、「よくやった」と言ってあげたい。

なぜならば、自分が不当な扱いを受けて日々過ごすことを、よしとしなかったということだからだ。

(もちろん、当時は自分のキャリアについて吐きそうなくらい悩んでいたけれど)


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自分を大切にするというプライド。

自分が大切にしていることや人を、大切にするというプライド。

どんなに自信がなくいいから、これだけは失っちゃいけない。

なぜならば、自信というのは自分を大切にした結果、必ず後追いでついてくるものだからだ。

自分を大切にしようと思ったら、何かしらのアクションが必要になるはずで、そのアクションの結果自分にとってよりよい環境や結果や人間関係が手に入れば、そんな自分に対して自信はつくだろう。

逆に言えば、自信がない自信がないと下を向いて生きている期間があまりにも長いならば、本当の意味で自分を大切にできているかを疑ってみるとよい。

自分自身のことも、自分が大切にしていることも、一番大切にしてあげられるのは他でもない自分自身だ。

自分が大切にしていないのに、他人から大切にしてもらえないことを嘆いていても何も始まらないじゃないか!


かけがえのない人生、まずは自分で誇りという名の舵を取ろう。

可愛げのないオンナ?

上等上等!

今日も明日も、プライド高く生きていこう。

それこそが、未来を明るく切り開くしるべになる。

私はそう、信じている。


#プライド

#女のプライド

#私の仕事



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