見出し画像

映画「子宮に沈める」あらすじと感想

「大阪2児放置死事件」を元にして作られた作品。

由希子は夫と二人の子供、長女の幸と長男の蒼空と四人で暮らしていた。
仕事の煩雑さに追われて家を留守にしがちであった夫に耐え切れず、彼女は子供たちを連れて家を出る。
最初の頃こそ仕事をしながら資格の勉強をし、子供たちに少しでもいい暮らしをさせるべく奮闘していた由希子だったが、夜職に就き、交際相手ができた彼女は次第に子供の世話を疎かにしていく。

‐‐

この映画を観て一番ハッとさせられたのは、自分の中に「ネグレクトをする親は最初からそういう性質がある」という思い込みがあったこと。
冒頭のシーン、お弁当を用意し、室内でピクニックを楽しむ三人の様子は、典型的幸福な家族像であり、一人で子供二人の面倒を見ることの大変さは垣間見えるものの、この家族がこの先悲惨な運命を辿ることになるとはおよそ予想もできなかった。

家庭という小さな箱の中で起きていることは外には見えない。
見えないけれども、だからといって外からのアプローチが完全に不可能な訳ではなくて。由希子のように追い詰められている親に対してわたし達が社会全体としてできることはまだまだあるんじゃないかなって、今はまだ漠然としているけどそんな風に考えている。

それはこの映画にもヒントというか、由希子が育児放棄に至った原因の欠片みたいなものが描かれている。
まだ若い由希子にとって、社会との関わりが減り、家に閉じこもって子供の面倒を見続けることはいかに苦しいことか。自分を愛してくれる存在を求めてしまう、母親ではなくて女として扱われることを思い出した後のその楽しさから親としての義務を忘れてしまったことは本当に彼女だけの責任なのだろうか。
育児放棄の事件がニュースで取り上げられる度に親に対する一方的なバッシングがネット等で多く見られることに対して、もちろん親が子供を育てる義務を放棄したり、あまつさえ傷つけるなんてあってはならないんだけども、そこまで彼らが追い詰められた理由はわたし達にはわからないし、こういう事件の悲しさを忘れないことが一つ大切なことなんじゃないかなあと思う。

あと、由希子が家を空けることが増え、子供の面倒を十分に見ないようになり始めた頃、彼女の顔がカメラに映らないようになったのは、「親」としての顔を子供に見せなくなったからなのかなあと考えてみたりした。

子役の演技があまりにも自然で、一般家庭を覗き見ているようなカメラワーク、BGMの一切かけられていない演出と相まって、圧倒的リアリティーを確立している。
取り上げられている題材のあまりの陰鬱さにあまり高く評価はされていないけど、社会問題について考えるキッカケを広く社会に与えるという点で映像作品としてこの上なく重要な役割を果たしているし、もっとたくさんの人に観てもらいたいなって勝手に思った映画でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?