グラフでわかるF1 第1回―チームの変遷―
皆さんこんにちは、あ~る🍁です。
「グラフでわかるF1」記念すべき第1回は、チームの変遷です。全10チーム20ドライバーが参戦する2024年シーズンのF1世界選手権。今回は国際色豊かな各チームの歴史と変遷を紐解いていきたいと思います。チームの背景を知ることで、より一層応援したくなること間違いなし!💪
ぜひ、最後までご覧ください!
0. はじめに
ばばーーん!
2024年シーズンに挑む、全10チームの変遷をグラフにまとめてみました。これだけでも、けっこう迫力がありますね~
こうしてみると、多くのチームが改称や買収を繰り返してきたことがわかります。
ここからは、各チームの歴史と変遷を深掘りしていきたいと思います。
1. Scuderia Ferrari HP
イタリアの自動車メーカー、フェラーリが運営するワークスチームです。創設者であるエンツォ・フェラーリによりアルファロメオのセミワークスチームとして発足し、1950年の独立後はシャシーとエンジンを内製するフルコンストラクターとして活動しています。
F1世界選手権がスタートした1950年から継続して参戦する唯一のチームで、2024年現在、16回のコンストラクターズタイトルを獲得し9回のドライバーズチャンピオンを輩出するF1を代表する存在です。
「お家騒動」と呼ばれるチーム内のゴタゴタが風物詩?でコンストラクターズタイトルは2008年から、ドライバーズタイトルになると2007年から長らく遠ざかっており、タイトルまであと一歩という状況が続いています。
2. Mclaren Formula 1 Team
1963年にブルース・マクラーレンによって設立されたチームです。コンストラクターズタイトルは8回、ドライバーズチャンピオンは12回と、フェラーリと同じくF1を代表するチームの一つです。
1980年代から1990年代にかけてホンダと黄金時代を築き上げ、1988年には「16戦中15勝」という驚異的な成績を残しダブルタイトルを獲得しました。
マールボロのスポンサーカラーやシルバー・アローなど印象的なカラーリングが多いなか現在は黎明期のナショナルカラーのパパイヤオレンジが復活し使用されています。
3. Mercedes-AMG PETRONAS Formula One Team
ドイツの自動車メーカー、メルセデス・ベンツが運営するワークスチームです。1930年代にグランプリレースを席巻したメルセデスがブラウンGPを買収するかたちで復帰・参戦していますが、そのルーツは1970年ごろまで遡ります。
1970年、材木商で元レーシングドライバーのケン・ティレルは、前年までタッグを組んでいたマトラと決別し、ティレル・レーシングとして参戦を開始しました。初年度からその実力は高く、1971年にダブルタイトルを獲得しました。中嶋悟をはじめ日本人ドライバーを多く起用し、革新的なアイデアを採用することでも話題を呼びました。長らく資金難に悩まされた末、1999年にB・A・Rに売却されました。
B・A・Rは、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の全面支援を受けて誕生したイギリス国籍のチームです。2000年からF1に復帰したホンダとタッグを組み、2003年日本GPから佐藤琢磨が加入しました。ヨーロッパでのたばこ広告規制が進み、ホンダがBATの株式を譲り受けるかたちでワークスチームへ移行しました。
2006年、1960年代以来のフルワークス参戦を果たしたホンダは、ハンガリーGPで第3期初優勝を達成しました。しかし、2007年以降はアースカラーなどで話題を呼ぶも、マシンの戦闘力不足に苦しみ、リーマン・ショックの煽りも受け2008年末に撤退を発表しました。チームは当時の代表だったロス・ブラウンにわずか1ポンドで売却され、ホンダの第3期F1活動は幕を閉じました。
2009年、ロス・ブラウンはホンダの置き土産のシャシーとメルセデスエンジンを融合させ「ブラウンGP」として参戦、開幕戦で初優勝を達成し、ダブルタイトルを獲得しました。その後、メルセデスがブラウンGPを買収することが発表され、わずか1年で消滅することになりました。
2010年、ブラウンGPを買収したメルセデスは皇帝ミハエル・シューマッハを起用し話題を呼びました。ルイス・ハミルトンの召還と2014年のレギュレーション改訂への対応が功を奏し、2014年からダブルタイトル7連覇を達成し黄金時代を築き上げ今に至ります。
4. Williams Racing
1977年にフランク・ウイリアムズによって設立されたチームです。コンストラクターズタイトルは9回、ドライバーズチャンピオンは7回と、フェラーリやマクラーレンと並びF1を代表するチームです。
長らく家族経営が続いてきましたが、近年は財政難や戦闘力の低下に苦しみ、2020年内でアメリカの投資企業ドリルトン・キャピタルに売却され、家族経営は幕を閉じました。
売却後もチーム名やシャシー名を変更せず、本拠地も移転しないなどウイリアムズの伝統を受け継いで参戦しています。2024年に小松製作所がスポンサーに復帰しました。
5. BWT Alpine F1 Team
フランスの自動車メーカー、ルノーが傘下のアルピーヌ名で運営しているチームです。そのルーツは1980年ごろまで遡ります。
1981年、ヨーロッパF2選手権で活躍を見せたトールマンがF1にステップアップしました。アイルトン・セナのデビューチームとしても有名です。1986年にスポンサーのベネトンが完全買収し、チームは終焉を迎えました。
1986年、ベネトンは参戦初年度から初優勝を飾り、1989年にはミハエル・シューマッハを獲得しチャンピオンチームへ変貌しました。シューマッハの移籍後は低迷が続き、2002年にルノーが買収したことでベネトンはF1から姿を消しました。
2002年、ベネトンを買収したルノーは次第に競争力を取り戻し、2005年と2006年には新鋭フェルナンド・アロンソがダブルタイトルを獲得しました。しかし、2008年シンガポールGPの「クラッシュゲート事件」に端を発した混乱で雲行きは怪しくなり、ロータスに株式を売却して2011年で活動を終了しました。
2012年、ロータスF1チームとして再出発すると、キミ・ライコネンの活躍で大きな飛躍を遂げましたが、離脱後の低迷や財政難の末、ルノーがチームを再買収しロータスは2015年限りでF1から姿を消しました。
2016年、再出発を果たしたルノーですが中団争いからは抜け出せず、カスタマーチームも関係悪化で失ってしまいます。イメージ刷新を狙ってか、2021年から傘下ブランドであるアルピーヌに名称を変更しました。
6. Visa Cash App RB F1 Team
日本人F1ドライバーの角田裕毅が所属するレッドブルの姉妹チームです。そのルーツは1980年ごろまで遡ります。
1985年、F1直下カテゴリーで成功した実業家ジャンカルロ・ミナルディはF1へと活動の場を広げました。慢性的な財政難がつきまとうも、積極的な開発や新人ドライバーの発掘、また家庭的な雰囲気や美味しいケータリングでみんなに愛されるチームでした。しかし、やはり財政難には勝てず、レッドブルに売却されて惜しまれつつF1活動を終了しました。
2006年、ミナルディを買収したレッドブルはチーム名をスクーデリア・トロロッソに改称し、若手発掘を目的としたセカンドチームとして再出発しました。2008年イタリアGPでベッテルが初優勝を飾りました。2018年からホンダPUを搭載、レッドブルのファッションブランド「AlphaTauri」の宣伝を目的に2019年でトロロッソの名が外れました。
2020年、スクーデリア・アルファタウリへと名を変え、イタリアGPでピエール・ガスリーが初優勝を飾りました。2021年には角田裕毅が加入しました。2023年をもってチーム代表のフランツ・トストが引退するのをきっかけに体制を大きく変えることになります。
2024年、VisaとCash Appをスポンサーに迎え「Visa Cash App RB F1 Team」として再出発しました。
7. Aston Martin Aramco Formula One Team
イギリスの自動車メーカー、アストンマーティンの名を冠するチームです。そのルーツは1990年ごろまで遡ります。
1991年、元レーシングドライバーのエディ・ジョーダンはジョーダン・グランプリを創設しF1に参戦します。初年度から流麗なマシンとカラーリングが話題を呼び、入賞も果たしました。起用したミハエル・シューマッハを奪われるもメインスポンサーの獲得で上位に進出し、1998年ベルギーGPで初優勝を飾ります。ホンダとの関係も深く、無限ホンダ期を経て2001年からホンダエンジンを搭載し、2002年に佐藤琢磨が加入しました。ホンダやスポンサーの撤退後は財政難が続き、2005年でジョーダンのF1活動は終了しました。
2006年、前年にジョーダンを買収したミッドランドは「MF1レーシング」として参戦したものの、成績が上昇することはなくシーズン中にオランダの自動車メーカー、スパイカーに売却されてしまいます。
2007年、スパイカーは正式に改称して参戦を開始します。荒れた天候のなかトップタイムやラップリーダーを記録するも、大躍進には繋がらず、2007年末にインドの実業家であるビジェイ・マリヤが買収しました。
2008年、フォース・インディアとして再出発したチームは、潤沢な資金を武器に躍進し、2009年ベルギーGPで初のポールポジションと表彰台を獲得します。その後も中団争いを抜け出すほどのパフォーマンスを発揮しますが、資金繰りが悪化し2018年半ばでチームは破産してしまいました。実業家ローレンス・ストロール率いるコンソーシアムに売却され「レーシング・ポイントF1チーム」として、再出発しました。
2018年半ばでフォース・インディアの資産と雇用を引き継いだレーシング・ポイントは、財政状況が安定して2020年のサクヒールGPではセルジオ・ペレスが初優勝を飾ります。ローレンス・ストロールはイギリスの自動車メーカー、アストンマーティンの会長に就任しワークス参戦の扉を開きました。
2021年、アストンマーティンF1へと改変したチームは、新ファクトリー建設などの投資を皮切りに、フェルナンド・アロンソの召還やホンダとのワークス契約などチャンピオンへの道を進み始めています。
8. Stake F1 Team Kick Sauber
スイスのレーシングチーム、ザウバーが運営するチームです。元レーシングドライバーで実業家のペーター・ザウバーが設立し、数多くの大手自動車メーカーや国際企業と提携を結んできた「世渡り上手」なチームです。
1970年代から耐久レースで活躍し、1993年にメルセデスと提携しF1 へ進出しました。その後フェラーリのカスタマーエンジンの供給を受け、2005年末にBMWに売却されました。
ただ、売却後もBMWザウバーとしてその名は残り、2008年カナダGPでロバート・クビサが初優勝をもたらしました。2009年でBMWが撤退し、ペーター・ザウバーがチームを買い戻しました。
2010年、ザウバーはレギュラードライバーに小林可夢偉を起用し、2012年日本GPで自身初の3位表彰台を獲得しました。2018年からイタリアの自動車メーカー、アルファロメオとの提携がスタートしました。
2019年にザウバーの名が消えるも運営母体は変わらず、2023年でアルファロメオの契約が満了しザウバーの名が復活します。
同年に2026年からドイツの自動車メーカー、アウディと提携することを発表したザウバーは、2024年にオンラインカジノのステークをタイトルスポンサーに迎えました。
9. Oracle RedBull Racing
オーストリアの飲料メーカー、レッドブルが運営するチームです。そのルーツは1990年ごろまで遡ります。
1997年、F1王者に3度輝いた元ドライバーのジャッキー・スチュワートは、息子とともに「スチュワート・グランプリ」を立ち上げ、F1活動を開始しました。1999年には初優勝を飾り、チームはアメリカの自動車メーカー、フォードに売却されました。
2000年、フォードは傘下ブランド、ジャガー名でF1に参戦しました。苦戦が続き、最後はオーストリアの飲料メーカー、レッドブルに売却されるかたちで参戦を終えました。
2005年、レッドブルは初年度からポイントを獲得、2006年にエイドリアン・ニューウェイを召還し躍進を遂げます。2009年中国GPでセバスチャン・ベッテルが初優勝を飾り、2010年から4年連続でダブルタイトルを達成します。2014年のレギュレーション大幅改訂後はPU面で苦戦が続き、2019年からホンダとタッグを組みました。2021年にマックス・フェルスタッペンがドライバーズタイトルを獲得し、2022年からダブルタイトル2連覇中の最強チームです。
10. MoneyGram Haas F1 Team
アメリカの工作機械メーカー、ハースが運営するチームです。フェラーリと緊密な技術提携を結び、初戦の2016年オーストラリアGPからいきなり入賞を果たすなど新興チームながら大活躍を見せました。
何度もタイトルスポンサーに悩まされましたが、2023年にアメリカの送金サービス企業、マネーグラムがタイトルスポンサーに就任しチーム体制も安定しました。
2024年の開幕直前に、強面なルックスと率直な発言が人気だったチーム代表ギュンター・シュタイナーが離脱し、後任には小松礼雄が昇格してチームの立て直しを図ります。
11. おわりに
ということで、2024年シーズンのF1世界選手権に参戦する10チームの歴史と変遷を振り返ってきました。
75年目に突入するF1世界選手権、たくさんのチームが誕生し、そして消えていきました…でも、消滅したチームが忘れ去られることはありません。
「いつまでも あると思うな F1チーム」
皆さんの「推しチーム」はどこですか?
2024年シーズンも楽しみましょう!
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