洗面所で首をもたげた圧倒的虚無感について
今見ているこの景色が、いつまでも同じだとは限らない。
人間はいつか死ぬ。
自分が生きている間は大丈夫そうだけど、地球だっていつか滅びる。
今日、いつものように夫とウォーキングをした。
歩くコースは、いつも異なるが、見つけた公園で筋トレをするのが日課だ。
その筋トレ中に、夫がキレイに尻餅をついた。
雨上がりのぬかるんだ地面に足を取られたせいだ。
履いていたパンツとシャツに泥が付いた。
家に帰って、洗面所でその泥を落としている時に、不意に虚無感というか脱力感というか、何とも言えない感情に襲われた。
この感情の正体は一体、何なのか。
当然だが、人間は歳を取る。
いつまで、こうやって歩いていられるのか。
いつまで、こうやって筋トレをしていられるのか。
あと何回、太陽のもとで過ごせる夏が自分の人生に訪れるのか。
ただでさえ、生まれてきた瞬間から、死のタイマーが動き始めているのに。
その貴重な制限時間を、コロナという見えない化け物が、好き勝手食い散らかしている。
もちろん、その中でも、みんな楽しく過ごそうと工夫や努力をしている。
でも。
好きな場所に好きな時に好きなように行くことが出来ない。
大切な友達に気軽に会うことを憚られる。
誰かがマスクをしていないことを、誰かが非難する。
誰かが遊びに行くことを、誰かが悪く言う。
そうやって、分断が起きる。
誹謗中傷が空を切る。
こういう事象が、徐々に人の心と体に、影を落としていく。
そんな時に、暗いニュースが追い討ちをかける。
人気俳優の死。
「信じられない」
私もそう思ったし、そうつぶやいた。
しかし、それは起こってしまった。事実なのだ。
自分には直接関係ない、とか。
俺は元気だから大丈夫、とか。
それらの言葉には、全て「今のところは」という前置きが付く。
みんな、死ぬ。
100%、死ぬ運命なのだ。
自分が死ぬ時も、死に方はきっとまだ選べない。
だとしたら、その制限時間の終わりが来るまでを、生きるしかないのだが、この閉塞感の中、どうやって前を向けばいいのだろう。
目の前の仕事をちゃんとする。ポジティブにウォーキングをしたり、筋トレをしたり、オンラインイベントに参加したり、登壇したり、企画したり、英会話を勉強したり、読書したり、YouTubeでお笑いを観たり、ストリーミング配信で好きなアーティストのライブを観たり、好きなドラマをNetflixで浴びるように観たり。
そうやって、何とか毎日をポジティブに有意義なものにしようとしていても。
それらは、死ねば全て土に還る。
だとしたら、私がやっていることは、いったい何なんだろう。
おそらく、私が洗面所で感じた感情の源泉は、これだ。
「圧倒的虚無感」とでも、名付けようか。
きっとコロナ禍でなくても、どこかのタイミングでこの感情と戦わないといけなかったはずだ。
でも、コロナがなかったら、もっと忙しくしていただろうから、考える暇もなかったかもしれない。
「はい、明日で地球終わりです」となったとしても、「そっか、そういうこともあるだろうよ」と受け入れてしまいそうな。
それくらいのブラックホール。
ここから、脱却する方法とはいかに。
書いているうちに見つかるかもしれないと思って書き始めたが、余計にわからなくなった。
でも。
わからないならば、自分が今やっていることを続けるしかない。
毎日をポジティブに有意義なものにするであろうことを、継続するしかない。
目的は、今はわからなくてもいい。
何者でもないし、何を手にした訳でもない。
大きな成功もしていない。
世の中に役立つものを作ったわけでもない。
だが、今やっていることの積み重ねが、何かを生むかもしれない。
リモートワークになってからは、化粧をする回数が極端に減ったが、たまたま今日は休みにも関わらず気が向いて、化粧をしていた。
メイクを落とすために、洗面所に行った。
汗でメイクはほとんど影も形もなかったが、丁寧に顔を洗った。
さっぱりした。
この圧倒的虚無感が、メイクや汗と一緒に水に流れていってくれたらいいのだが、そう簡単にはいかないようだ。
だが、とてもさっぱりしたのだ。
その時に気付いた。
仄暗い場所に、自分が落ちていってしまった時。
切り替えるには、その感情が生まれた場所に立ち戻ること。
そして、その感情と向き合うこと。
完全にそれを拭おうとしなくてもいいこと。
物理的に切り替わる、何かをすること。
今見ているこの景色が、いつまでも同じだとは限らない。
人間はいつか死ぬ。
自分が生きている間は大丈夫そうだけど、地球だっていつか滅びる。
でも、自分には制限時間が残っている。
だったら、継続しよう。
やれるところまで。
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