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寂しがりほど本を読む

昨日布団に入る前に祈る気持ちでたやすみなさいを読んでから紙袋に入ったネーブルを嗅ぎたいになっている。
胸いっぱい、目を閉じて深くまで吸い込んで肺を満たしたい。
このところ恋人の声を聞かない日がなかったからか、特に眠る前に聞けないとなると落ち着かなくて時計はだいたい午前2時を指す。
以前なら迷いなく安眠音声を聞いて寝ていたはずなのに、最近はどうもそんな気になれず、横になったままつけるイヤホンが鬱陶しい。

恋人との距離を測りかねている。
用法用量を守らねば、ひとたび過剰摂取してしまえば後々苦しくなるのは目に見えているのに、機会があるとすぐ飛びついてしまう頭の悪さをどうにかしたい。
同時に私が今よりも連絡などしなくなったら付き合っているのかいないのかよくわからない距離感になるかもと謎に危惧している。
どうか私に振り回されず健やかに生きて。

知らぬ間に年が明けていた。
初詣にはまだ行っていない。
いつか恋人と行くのに密かに憧れている。
こうして考えてみると初詣って限りなく日常の行事なんだ。

今度から好きな人のタイプについて聞かれたら、頭のなかに本棚がある人と答えようと思う。冊数を肩書きのように扱わない人ならなお素敵だ。
あと、どれだけ早口でも積み木を組み上げていくような話し方をする人。

ところで「目に見えている」って実際に目に見えていなくても使うよね。見えているほどに明らかなこと、だからこそ見落とす不可視の情報をくりぬいてドライフラワーにするのが谷川電話だと思う。

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