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昨夏、

好きな曲の楽曲考察小説コンテストが開催されるとの情報を見たので応募することに決めた。
入賞すると作品集に収録されるとか、賞金が出るとかもあったけれど、何より、作者本人の審査を経て受賞作品が決まるというところに惹かれた。
私は自分の書く小説について「人によってはこれは小説では無いと言うだろう」と思っているので、入賞するかも、とは一切思わなかった。
作者その人の目に触れる可能性が皆無ではない以上、応募しない選択肢はなかった。

何かに応募するなんて中学時代に夏休みの宿題で小説を書いたとき以来で、それも納得のいく出来にならないからと締切とはずれて提出したので、私は人生で初めて締切に間に合うように書いて完成させ、規定のサイトに投稿することを自分と約束した。
あのときは提出さえすれば、少なくとも教科担任には読んでもらえたのでそれで満足だった。
今回は締切に間に合わせなければ、審査員に読んでもらうことすらできない。

書き始めたはいいものの、書きたいことと自分の知識や経験に大きな乖離があることに気づいた。
そんなのなくても書ける人はいるだろうが、私はすべてを想像で補完して書くということが、ここ数年できていない。
かといって、よく知る土地の雰囲気でも微妙に書けない気がした。
結局、高校の時に修学旅行で行った場所とか、今自分がいる土地の怪しげなビルとか、欲しい雰囲気に合いそうなのを記憶から引っ張り出したり散歩ついでにふらっと立ち寄ったりして得たそれらを脳内で切り貼りして場面を構築することを繰り返して、応募要件を満たすものを書くことはできた。

コンテストの締切の1ヶ月後に、私が本来書きたかった場所に行く用事ができた。
それまでも何度か行く機会はあったけれど、落ち着いて街を見て歩くということはしてこなかった。
たぶんここには全部あって、だからこそ何もなくて寂しいから裏切られにくい金銭を介して人間関係のようなものを構築する街なのかも、というのがそこに対する私の率直な感想。


また書こうと思う。
大学まで都会にいた人が全国に支社をもつ会社に本社配属希望で就職したけれど実際の配属は地方になり、片想い中の人と疎遠になるからとなんとかして断ち切ろうとする人の気持ちでもわかればよかったんだろうけど。
もう少し人に会ったり住んだりしてみて、感覚を自分に落とし込むところから始めたい。
と思っていたら意外と叶いそうでよかった。

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