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お子様プレートにささっている国旗みたいな

大学院っていうのは、私には全く合わない環境でした、でした?現在進行形でその場にとどまっていますが。やりたいこととやるべきことがかみ合わないもどかしさ、絶望、そういうものを日々学ぶだけの毎日で、それにうんざりしてしまっています。やりたいこともやるべきこともどっちもやればいいじゃあないか!というそこのあなたへ、ちっ、ちっ、ちっ、と人差し指を軽く横に振った後で、そのままあなたを刺してやりましょうかね。そういう単純な問題ではないのですよ。自分の中にある理想の私(目指したい姿)と、周りから求められている私(在るべき私)が乖離しすぎていて、私は常に迷子の子猫ちゃんのようににゃあにゃあ鳴いて(泣いて?)いるわけです。

いつか、ここで学んだことが、少しでも活きてほしい!との希望は常に持っています。が、私はここで何を学べたでしょうか。学べたことって学んだ瞬間にわかるものではないですから、本当に実感がなくて、つかみどころもなくて、嫌になってしまいますよね!今のところは、自分に全く研究の才能がないということと、自分に合わない環境っていうのはあるんだなあという感覚だけが収穫です。

私は小中高と優等生で(自分で言うな?)、特に中学高校ではだいたいの先生のお気に入りの中の1人でしたが(自分で言うな!)、大学院では、というかゼミ内では、お気に入りの子として選ばれなかったようです。もちろん(お気に入りとして選ばれている子には)実力が伴っているのでなんともいえない、というか文句はないのですが、どうもその扱いの差で私はやられてしまっています。そんなこと社会に出ればごまんとあるでしょうに、私が気にしすぎなのかもしれませんけどね。

そうそう、つい先日、その指導教員は、私のことを完璧主義と評しました。(実力が伴っていないと暗に示して)、傍から見てそう見えるのですから、とうの私はもうとっくの昔にそれを自覚しております。ですが、多分、完璧主義とは違います、近しいですけどね。自分の立てた理想があって、それに負けるのが悔しくて認めたくなくて、だから足搔いているという感覚があります。そう、ただ単に負けず嫌いなのです。他人に負けるのも自分に負けるのも嫌。いやいやいや!そんなことは到底不可能ですから、もちろん心が痛みます。悲しい気持ちになります。そこから立ち上がることができずに、大学院生活は終わってしまいそうです。

残りの大学院生活、あと半年もある(しかない)ので、せっかくだし、あるべき私より、私がなりたい私を優先しちゃおうかな、なーんて、悪魔の私がささやいております、いや、ほぼ叫びに近いです。例えば、こうやってものすごく感情的な文章を書いて、ここ数年で学んだ序論方法結果考察なんてくそくらえ!と言ってみたり。そういう小さな反抗を繰り返して、元気な私を取り戻したいです。なんか最近しょんぼりしてたんですよね。バイト先でも私より後から入ってきたおばさんに大量の嫌味言われて、それでもへらへら笑ってるとか。だから、これが自分だ!って、私の印がででんと印刷された旗みたいなものを相手の心にぶっさしてやろうかなって。ほら、あのお子様プレートにささってる国旗みたいな、ああいう小さなものでいいので。でも、よくよく考えたら、あれってささってたら嬉しくない?!そうか、じゃあ、私もチクッと痛みとしてぶっ挿すんじゃなくて、これが自分だよって、そしたら、ああ教えてくれてありがとう!って相手が思うくらいの、そういう旗をさせたらいいな。なんて。

何を言っていますか?またね!

p.s. 折角だしお子様プレートのイラストとかあったらいいなって思ったけど全然なかった!ビール好きです!(?)

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