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損と本音と建前と

ここ数年は「本音と建前」の戦いは本音が優勢だと感じています。
僕もどちらかといえば本音で物事を言いがちで、怒られることも多々あるけど。

僕自身「本音」を言ってる感覚ではなくてシェアに近い意識を持っている。五感で感じ、頭の中に出てきた僕の意見、気持ちを言語というツールを使ってシェアしてる。
僕自身そのツールを使いこなせてないため、シェアできていないことがほぼ。しまいに悪気とか禁句とかそこらへんの規制も一切かかっていない。いざとなるとどっか行っちゃうんだよね。

建前をきちんと扱えている人は、僕みたいに感情そのままぶつけるタイプにものすごくイライラすると思うけど、それは多分「損」してると思ってしまっているんだと思う。
建前を扱える人は自分を自粛して話しをするからきっと息苦しいよね。でも僕がいうのもなんだけど本音を言う人はめちゃめちゃ痛い目にそのうちあうから絶対建前を兼ね備えた方がいいと思うよ。

こないだなんて会社の集団面接中、後ろの人がお腹なたのが聞こえて「お腹なったでしょギャハハって」言っちゃった。まじなんで言ったのか自分でもわかんない。((その後はご想像に

そして、建前で話す人は本音で話す人を規制しようとするでしょ、あいつまたあんなこと言ってるよとかで「本音で話す」という「自由」を縛ろうとする。
これが優しさから生まれる事ならいいんだけれど自分が損してるという思い込みからきてることが大半だと思う。

その結果、建前を扱える人達が自分は損をしていると勘違いして本音を言い出し、本音ばかり言う人が増えてきたと思う。あいつが言うなら俺だって言ってやるって言う負の連鎖。
しまいには、本音の純度が下がって結局エセ本音(建前)が出回ってる。

建前にはある程度のルールなるものが存在するんでしょ。こう言っとけば平気的なお医者さんの業界にありがちなやつ。

本音にはそう言うのがあるわけじゃないから難しいんだよ。

甲本ヒロトが面白い事を言っている。「ここから一歩も通さない、理屈も法律も通さない、誰の声も届かない、友達も恋人も入れない」って

この空間に僕の本音は存在していて、この空間から何かを取り出して、言葉にする時のエンジンの馬力はフェラーリ並みではないといけない。
いわゆる言語化すると言うことなのだけれど、まあゆっくり僕の話を聞いてほしい。

こうやって建前ばかりの学校馬鹿が「言語化が苦手」って叫んでて、ばか言ってんじゃないよと思う。難しくて当たり前なんだと声を大にして言ってやる。

頭の中にあることを言語で表すことは当たり前に行われているが故に、その行為は簡単である、または言語化できない人は無知或いは馬鹿として扱われることもある。
小説、スタンドバイミーの冒頭に僕の好きなフレーズがある以下日本語訳
「一番大切なことというのは、ほかのどんなことよりも話すのがむずかしい。言葉は大切なことを切り縮めてしまうから。自分の人生のなかの善きものを、他人に大切にしてもらうことなど、できるものではない」

ここから一歩も通さない、理屈も法律も通さない、誰の声も届かない、友達も恋人も入れない大切な自分だけの空間にあるものはやっぱりなかなか伝わるものじゃないんだよ。

そうとは別に本音が大切なのはわかったけど僕がそれで散々痛い目あってるのは事実。

でも「裏でそんなこと言うんだったら目の前で言って欲しかった」

僕はこの言葉は学校で聞いた。

本音も建前もどっちがいいのかなんて考えるのはやめよう。

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