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第37回 第3逸話『プロテウス』 その7

 サリーおばさん家を通り過ぎ、さらに歩き続けるスティーブン(たった10分ほど歩いただけなのに、凄まじい情報量)。
 何気に彼は、ピジョンハウスと呼ばれる発電所に向かって歩いた。
この建物は実際にある建物(少なくとも1994年ごろまではあった)。名前のピジョンは、作った人の名前から取ったそうだが、スティーブンはここで、「ピジョンpigeon=鳩」を思う…。

”誰がお前をこんな酷い目にした?”
”鳩のせいなのよ”

 
 聖母マリアと夫ヨセフの会話。
鳩は神からの使い。マリアの元に降り立ち、キリストを孕ませた…そう。
レオ・タクシル著『イエスの生涯』という本に書いてあるらしい。

 勝手に人ん家の嫁を孕らせやがって、ってこと?

(念のために補足すると、イエス・キリストの母はマリアだけど、父はマリアの夫ヨセフではなく、

 続いて…。

 ”僕がパリにいた頃は、パンチされた切符を肌身離さず持っていたさ。もし1904年2月27日に(スティーブン=ジョイスはパリ留学時、「母危篤」の知らせにより一時帰国した後、もう一度パリに戻り、しばらくして完全に帰国している)、もし殺人事件があって、もし万が一容疑者で逮捕されるようなことがあったら。そのアリバイのためにね”
 
「恐ろしく心配性な奴」をネタにしたジョークのようなんですけど…。

 そしてスティーブンは『イエスの生涯』から、パリ留学時にできた友人パトリスと、その父ケヴィン・イーガンなる人物を思い出す。
ケヴィン・イーガンには実在した人物がモデルにいる。名をジョン・ケリーと言い、フェニアン会の(アイルランド独立運動の組織)メンバー。結構過激なやつだったらしく、「土地同盟運動」では何度も逮捕、投獄されている。そんな彼を幾度も助けたのは作者ジェイムズ・ジョイスの父ジョン・ジョイスだった。
 ケリーはよくジョイス家を訪れ、息子ジェイムズとも面識があった。

そして、すごぉ〜くややこしくなりますが、このジョン・ケリーなる人物は、名前をジョセフ・ケイシーとして、『ユリシーズ』の前作『若い芸術家の肖像』に、小説内の人物として登場しています。やはり事実と同じようにスティーブンの父サイモン・ディダラスの友人として、ジョイス家ならぬ、ディダラス家を訪問しています。

 当人ケリーはやがてパリへと亡命します。
 
 そして今作『ユリシーズ』。ここで彼は別人として(なのかな?)ケヴィン・イーガンの名で(パリで再会したかつての知人として)再登場しているのです。

(つまりジョン・ケリーなる人物が、ジョセフ・ケーシーとして、又の名をケヴィン・イーガンとして、2度登場している。ややこしいけどなんか面白い)

 息子のパトリスは、そのまま本人の名前が使われている。


 最初のページにて、ケヴィン・イーガンは『オデュッセイア』のメネラオスの対応キャラと記されている。

…へぇー。

 その後、パトリス君と行ったバーでの思い出が綴られる。故郷から送られてくる仕送りのことで郵便局行ったら、局員の態度が悪くて、ピストルをぶっ放す想像をして、「いやぁ〜、悪かった。仲直りだ」とか、ぶつぶつ意味のないスティーブンの虚実真実入り乱れた、意識の流れが続く。
 
 そして、パリの楽しい思い出は、故郷からの唐突な電報にて…。

”ナハキトクスグカエレチチ”

Mother(母)を読み間違えたフランス郵便局員が、Notherと書いた。

 ダブリンに引き戻される。


 そして悪友マリガンの痛烈な一言を思い出す。

”俺の叔母は、お前が母親を殺したと思ってる。だからお前と付き合うのを嫌がる”

”じゃぁマリガンの金持ち叔母に乾杯!”

 嫌味たっぷりに嘯くスティーブン。

 彼は南の方を向いてみた。マーテロ塔が見えた。
さっきまでの住居、マーテロ塔を思う。


”冷たい円天井、テーブルの上の食べ散らかした皿、奴らが後ろに追いやったままの椅子。誰が片付けるんだ。

もうあそこじゃ寝ないぞ(断捨離=違った通過儀礼

 岩に腰を下ろすスティーブン。「よっこいしょ。一休み」
眼前にワンコの死骸があった。
「ウェ、キモ」


 

 …続く。






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