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コロナ自粛はとにかくセレンディピティ不足

ただ書きたいと思いNoteのアカウントを作ったが、年々記憶が薄れるのが早くなっているので、とにかくその時頭の中にあることを書いていこう思う。

書くことはそれが好きな人たちにとっては、頭の整理法であり、ストレス解消法であり、もはや救いなのだ。(全くファンではないがメンタリストDaiGoもそう言っている)
https://toyokeizai.net/articles/-/224866

今は週末土曜日だが、2020年3月頃から長らく続くCovid-19による自粛により、基本的には家から徒歩圏内の移動しかしていない。

仕事も、友達との会話も、音楽や映画やドラマや読書といった娯楽も、大体はオンラインで生活は完結できる。ただ、何か物足りない。そんなことをこの数ヶ月で感じる。何が足りないのか?と考えた時に、友人が言っていた「セレンディピティが足りない」といった言葉を思い出す。そうだ、セレンディピティが足りないんだ。

街を歩いていたら、偶然知り合いに会う、偶然気になるお店を見つける、偶然喫茶店で流れていた音楽を好きになる。周囲の喧騒の中で、ふいに何か考えがまとまる、気持ちが切り替わる、仕事のアイデアが生まれる。誰かに何かを連絡したくなる。

くどくど書いたけど、こういうセレンディピティはとても素敵だし、もはや生活の中の喜びの多分を占めていたのだと、コロナ自粛期間で気づかされたのである。

最近では一時期と比べてコロナ感染者数も減り、自粛ムードも収まってきている(ように少なくとも街を歩いていると思える)ので、僕も休日に完全に引きこもることはやめて、1人で近所をただただ歩いている。

ただただ歩く、ホントに文字通りの散歩でさえも、セレンディピティの欠片を感じられて、リフレッシュできる、癒される。ただただ書くのと同じくらいは癒される。

散歩の楽しみは、家を出る前から始まっている。身支度を整えたら、部屋に溜まったゴミを袋に詰める。どんな音楽を聴きながら、どんなルートを歩くか、ぼんやりと考える。

エレベーターを降りて、マンションのゴミ捨て場に袋を放り投げたら、ワイヤレスイヤホンを耳に突っ込む。まずは穏やかに気分を上げていくために、Lo-fi Hiphopだとかシティポップだとか(厳密な定義はわからないが)そういった類のプレイリストをシャッフル再生する。

基本的に何も目的はなく、あってもクリーニング屋に寄るくらいなので、何の気負いもなく歩き出す。晴れている日は春の匂いを、マスクを少しずらして思いっきり吸う。あの形容できない、木々や花々から生成されていると思われる匂いが気分を高める。それだけで幸福度は増す。時にはその匂いで、昨年までの春に一緒に歩いた友人やデートした女の子のことを少し思い出す。

大体30分くらいはひたすら歩く。なるべく視界の開けた場所を歩く。前日に筋トレなどの運動をしていた場合は、身体に少し残る張りや痛みが逆に生きている実感を増させてくれる。

散歩をなかなか楽しみ、気分が高調になってきたところで、たまに何故かバッキバキにかわいいJ-POPを聴きたくなる。もう、ドキドキやトキメキや恋などといった単語が散りばめられている、小柄でかわいらしい女の子が明るく歌う、バッキバキのそれである。AKBやSKEやNMBや乃木坂といったアイドルから、aikoやmiwaや、Shiggy Jr.(たまたまプレイリストで流れてきて最近知った)といった類である。

もちろん、女性目線のかわいい歌詞に僕は全く共感できない。大抵はその歌詞に近しい経験すらない。ただ、このような音楽を聴きたくなる理由は僕の中である程度検討はついている。つまり、「サプリメント」なのだと思う。自分の体内で生成できない、もしくは生成できても不足していると思われる感情を、散歩中にバッキバキにかわいいJ-POPで代替しているのである。

僕は、日常生活でDHC的なサプリメントは飲まない。過去飲んだことがあるのも、母親から親心で送られたルテイン配合の目の疲れをとる錠剤やブルーベリーアイ(どちらも効き目を実感はしなかった)くらいである。ただ、かわいいJ-POPというサプリメントはどうしても定期的に摂取したくなる。

こんなことをあてもなく考えていると、いつの間にか1〜2時間は経っており、今日もよく歩いたなと満足したところで家に帰る。

これが、コロナ自粛期間の僕の息抜きである。


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