20240715

今年入ってから初めてというレベルでガッツリ遊んだ土日でした。
土曜は高校の友人たちを家に呼び(車でン時間かけて来てもらって恐縮でした)、日曜はもう10年以上の付き合いになる音ゲー友達と遊びました。

今までこんなに予定を詰めた事が無かったので(何なら来週も多分遠出する)、正直かなり慣れない感覚でしたがシンプルに楽しかったです。
最近全然人と会わないし人と遊ばないしで、どんどん自分の生活範囲が狭まって行ってて(これは仕事がどうこうとかでなく、単に人に声をかけるのが億劫な自分の問題です)、たまにちょっとそこから抜け出すとそれだけで大変気分が上がります。
誘ってくれた皆ありがとうね。


でまあ、遊んだ話を全力で掘り下げてもいいのですが、
ちょっと今回は別の話をします。

高校の友人たち、ってところなんですが、そのうちの一人が自分の文章をかなり読んでくれているヤツでして。
ここでいう文章というのは小説だけでなく、自分が昔暇つぶしに書いていたブログとかも含んでいます。
何なら小説のことは長い間聞かれつつもはぐらかしていたので(https://note.com/r1an_/n/n1848cbc2c77f)、今思うとちょっと悪いことしたなあという思いもちょっとありますね。

んで、他のやつらにも実は文章を読んでもらっていた(否、当時高校生の自分がおそらく無理やり読ませていた)ことがありました。
忘れもしない真の処女作、白猫プロジェクトのリーゼロッテの小説ですね。記憶が正しければちょっと話の展開について相談したことすらあった筈です。
何というか押しつけがましくてごめんなあと思う気持ちもありつつ、少なくとも当時の自分の目にはある程度楽しんでくれていたように見えていたのです。

それで、話している中でふとその処女作の話題が出まして、いやあんなものはもう永久封印だよ~と言いつつも久々に掘り返して読んでみたんですね。後半は怖いので冒頭だけ。

なんか普通に読めてしまってビックリしました。
いやまあ内容の良し悪しとか表現力はさておいて、割と今の「リアン」もこんな感じの文章書くよなあ、というのが不思議と伝わってきました。
自分からすると「10年間何も変わってないの成長が無さすぎないか」なんですけど、熱烈に読んでくれていた友人からすると「10年間変わらない芯があったってことだよな」となるそうです。
確かにブルアカで14本も書いた作品を思い返しても、多少方向性の変化は有れど結局やりたいことは変わっていなかった訳です。少なくとも自分の目にはそんな感じに映りました。
だから、これはもう自分の本質として笑顔で付き合っていくべきなのでしょうね。

劇的に変わることの美しさよりも、
変わらないでいること、或いはそこからほんの一歩だけの変化を噛みしめることの尊さを描くようなお話を書いてみたいですね。
リアンでした。


あと出てきた話として、自分の作品の事を自分は大変素直で明るい作品だと思っていたのですが(大真面目に)、
これは普通に大間違いだろうと突っ込まれました。アチャー。

いやだって基本的にはハッピーエンドに着地させるし当人の悩み事は何かしらの形で一応の解決を迎えるように描いてるつもりだし云々……と弁明してみたのですが、
そもそものスタート地点が暗い事、キャラクターの自己否定のような気持ちをいつも始点にしているから見た目とっても暗いよと言われてアッ!!となったのです。
文字書きの友人を見ているともっと全力で深淵に足を突っ込みに行くような作品を書く人ばかりだった故、普通に錯覚しておりました。

他人に対しては極力気を付けているのですが、こと自分の話になると極度にいい加減なレッテル貼りをしてしまう悪癖があります。
こういう所からどんどん認知の歪みが大きくなっていきそうな気がするので、シンプルに気を付けたいなあと思った所存でした。
これからは暗くとも温かみのあるお話を書く人間としてやっていきたいです。これも合っているかわからないけれど。


それではそろそろお仕事に行ってきます(泣)

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