いきなりの連絡

年末に実家に帰る予定はなく
帰らないからねと電話をしたときに
お正月は無理なら明日は?と提案されて
29日から30日まで帰ろうと思い帰った
急遽前日に決まった
29日はお母さんと出かけて家でお酒を飲んで
楽しんでいた。
夜中ふと目が覚めぼーとしながらベッドに横になってると
お母さんが部屋に来た
母方の祖母が意識不明、早く病院に来てほしいと
連絡が入ったみたいで起こしに来たのだ
何がなんだかわからずとりあえず急いで用意を済ませ
父、母、兄と一緒に病院に向かった
あたし達が病院についたときには
既に亡くなっていた。涙が止まらなかった
頭では理解が追いついていないけど
反射的に泣いていた
突然のことすぎてよくわからなかった
母が先生と話が終わったあと
施設の職員さんに話を伺った
夜ご飯を普通に食べ就寝したと
特別具合が悪かった訳でも
持病があったわけでもない
診断は老衰だと思うと

正直書いてる今もあまり実感できていない
思い出すと泣いてしまうが
本当にいなくなってしまったのかわからない

大好きな祖母
唯一兄と比べず分け隔てなく可愛がってくれた人
あたしの小学校の行事も頻繁には来れなかったが
来てくれた、中学校の時の部活の試合も見に来てくれた
祖母の家に行くとあたしの名前を呼んで嬉しそうな笑顔で来てくれたのかといつも言ってくれた
祖母が認知症を発症し段々とわからないことが多くなってきたそれでもあたし、母、兄の事は忘れずにしっかり覚えていてくれた
母が一人で会いに行くとあたしと兄の事をいつも気にしてるよと会ってなくてもまだ覚えてくれてて嬉しかった

最後に言葉を交わしたのは秋頃
退院してからそのまま施設に入所する日
コロナ禍で面会は禁止だったが
その日は少し会えた
あたしが自分の名前を言わなくても
来たよ、会いに来たよって伝えると
昔と変わらずの笑顔で来たのかって
それが最後だった
もう少ししたら短時間だけど面会できるように
なるかもしれないときだった

思い出すと沢山の思い出が溢れる
悲しいというより寂しい
実感が湧けば悲しいとなるのだろうが
今はそばから離れていった寂しさのほうが大きい

今日はもう少ししたら納棺
化粧を綺麗にしてあげよう

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