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ワンダーパニックの頃に

 割とゲーム好きの子供だったと思う。〇〇年代前半、ゲームキューブが全盛の頃、わたしは小学生だった。小学四年生で初めてどうぶつの森+に触れて以来、大乱闘スマッシュブラザーズDXやらスーパーマリオサンシャインやらカービィのエアライドやら、当時の任天堂の有名タイトルにゆるゆると手をつけては、ヘタクソなりに楽しんでいた。「将来はゲームクリエイターになりたい、お絵描きが得意だからキャラクターデザインとかそういうのがやりたい」なんて、かわいい夢を見ていた時期もある。

 わたしのゲーム体験と切っても切り離せない店がある。大阪府は池田市、池田駅前にかつて存在したワンダーパニック(通称ワンパニ)である。ワンパニは、中古も含めゲームや漫画を全般的に扱う店だった。VHSやDVDのレンタルも行っていた。当時、小学生の行動範囲内でゲームが買える店といえばここか駅前のダイエーのおもちゃ売り場くらいしかなかったため、地元の小中学生はみんなワンパニを頼りにしていた。お金を貯めて欲しいゲームソフトを買いに行くのも、なんとなく時間つぶしに立ち読みをしに行くのも、友達と話のタネに立ち寄るのもワンパニだった。休みの日に行けば学校の誰かと会うなんて日常茶飯事だった。家出をして行くあてもなくワンパニで立ち読みしていたら父親に連れ戻された、なんて友人の話も聞いたことがある。それくらい我々小中学生にとっては重要な店だった。


 ところで、わたしが小学五年生頃のクリスマスの話である。
 朝起きると、枕元にゲームキューブのソフトの箱くらいの大きさの包みが置いてあった。わたしは本当はホームベーカリーが欲しかったのだが(嫌なガキである)、開けてみるともちろんホームベーカリーではなくゲームキューブのソフトで、忘れもしない、初代のピクミンだった。ゲーム好きのわたしは決してピクミンがいらなかったわけではないが、かと言って特にめちゃくちゃ欲しいソフトだったわけでもなくて、どうしても若干のガッカリはあった。あと、箱を一目見て分かるくらいに、明らかに中古だった。(ゲームキューブソフトの箱はスリーブ状になっており、縁がすぐ傷む。綺麗に保管するのが難しい)小学五年生、もはやサンタクロースを無邪気に信じるほど子供でもなかったわたしは、たぶん親がワンパニで買った中古ソフトだろうなと察しつつ、まぁせっかくだから遊んでみるかと起動した。すると、黒い画面に任天堂のロゴから先へ動作しないではないか。ピクミン遊べないんだけど、と母に訴えると、母はピクミンのソフトを持って、慌てるでもなく普通にわたし達姉弟を連れてワンパニに行った。いや、じゃあワンパニで買ったんじゃん!取り繕う努力もしないのかよ!と、さすがに親の行動に驚いた。

 もちろんワンパニはサンタさんがくれたピクミンの交換に普通に応じてくれた。母がレジで交換の手続きか何かしている横でふと視線を動かすと、クリスマスラッピングのサンプルがあった。さっきわたしが貰った中古のピクミンを包んでいたのと、全く同じ包装紙だ。じゃあやっぱりワンパニじゃん!!確定のやつじゃん!!そこから自分がどうしたかはあまり覚えていない。しかし少なくとも確実なのは、わたしはサンタクロースを信じるほど子供ではなかったが、親に気を遣えるほど大人でもなかったということだ。きっと、親にも周囲にも何か余計なことを言ったんだろうな。今思えば申し訳ない気もするし、一方で親の詰めの甘さもどうかと思う。もうわたしみたいなひねくれたガキに、サンタさんの存在を取り繕うのも面倒だったのかもしれないな。

 ちなみにピクミン(赤青黄の三色のピクミンを従え、宇宙船のパーツ三十個を集めるゲーム)だが、絶望的にゲームがヘタクソなわたしは自力で青ピクミンに会えたことがない。クリア条件の宇宙船のパーツは三十個中、二個しか手に入らなかった。エンディングは未だ見たことがない。わたしのオリマーは二十年経った今も、母星に帰れていない。

 もっとちなみに言えば、ホームベーカリーは後に母が購入した。案の定というか、わたしも母もちょっと使って結構すぐに飽きた。結局、プレゼントがホームベーカリーだったところで、だったのかもしれない。


 ワンダーパニックには漫画やゲーム関連の雑誌も置いていた。と言っても、さほどディープなゲーマーでもなく、ゲームキューブの表面くらいしかプレイしていなかったわたしが購読していたのは『ファミ通キューブ+アドバンス』くらいのものだったけれど。それでもわたしはこれを毎月楽しみにしていた。

 当時わたしは絵やマンガを描くのも好きだったので、ゲームのイラストを描いては投稿、描いては投稿、しまくった。一枚や二枚の次元ではない、小学生にしてはかなり頑張ったと思う。ポスターカラーや、なんならコピックまで購入した。ハガキ代だって、小学生のお小遣いに対してはまあまあかかった。そして、誌面に採用されたことは一度もない。一方でひと月に何枚も採用されている人もいたりして、誌面はいつだって常連の絵で埋め尽くされており、今になって思えば若干閉鎖的な雰囲気があった。わたしは普通にへそを曲げて、いつしか投稿を辞めた。

 もうひとつ、当時のファミ通キューブに腹を立てていたことがある。マリオシリーズにはピーチとデイジーという二人のお姫様が登場するのだが、何故か誌面ではそれぞれが「ピーチ姫」「デイジー」と呼称され、ピーチにだけ「姫」の敬称を付けていたのだ。圧倒的にデイジー派だったわたしはこの態度が気に入らなかった(大人になった頭で考えても、なぜそんな差をつけていたのかはよく分からないが)。なんでピーチにだけ「姫」付けなんですか?何の差別ですか?ピーチもデイジーも「姫」付けるか付けないか、どっちかに統一したらどうです?ていうか、なんでわたしの投稿採用してくれないんですか??常連ばっかり贔屓してませんか???爆発したわたしの不満はハガキ裏面にみっちりの文字となり、ポストへと投函された。徹頭徹尾嫌なガキである。もちろん返信なんてなかった。
 へそを曲げたのと、最新ハード情報について行けなくなった(WiiやDSは買ってもらえなかったので)のとで、いつしかわたしはファミ通の系列雑誌を読むのをやめていた。そのままゲーム全体からもなんとなく遠ざかることになる。そんなある日、ふと何かのきっかけで久々に誌面を目にすると、マリオシリーズの黄色い姫君に対して「デイジー姫」と書かれているではないか。まさかわたしのせいで!?自分で送っておいて戦慄した。だとすればこれが、わたしの唯一のファミ通に投稿が採用された経験となる。
 そういえば今のマリオシリーズにはもう一人、ロゼッタ姫というのが追加されているらしい。誌面での呼称は一体どうなっているのだろうか。


 さて、ワンダーパニックに話を戻そう。
 そのうち小学六年生になったわたしは、今度は週刊少年ジャンプにハマっていた。そして中でも当時連載していた、鈴木信也の『Mr.FULLSWING』(通称ミスフル)が大好きだった。いつものように暇つぶしにワンパニを物色していると、変な本を見つけた。どう見ても明らかにミスフルのキャラクターだが、鈴木信也の絵ではない。よく見ればMr.FULLSWINGなんてどこにも書いていない。今なら分かる、いわゆる同人誌だった。で、今でもそうなのだろうが、同人誌というのは決して安くない。けっこうな厚みのあるアンソロジー本だった。当時中古でも六〇〇円だか七〇〇円だかした記憶がある。それでもその変な本の中から一冊、買ってしまった。なぜならわたしはとにかくミスフルが好きだから。無視できなかったのだ。
 中身を読んだ。もちろん理解などできなかったが、ノットフォーミーだけはビシビシ感じた。根っからぼんやりした性格の、それも小学生のわたしでさえ、いやらしいことをしている雰囲気なのはなんとなく分かった。(子津と牛尾がイチャイチャしていた。)しかしそんなことは二の次だった。そんなことより、無口(というか無言)キャラの司馬くんが普通に喋っていたのが一番解釈違いで嫌だった。司馬くんが喋っている時点で、その本はわたしにとってミスフルではなかった。厄介オタクの萌芽だったのかもしれない。
 結局、すぐにその本はまたワンパニに売り返す(こんな言葉あるのか知らないけど)ことにした。まだウブだったわたしには、こんな本が手元にあることが許せなかったし、手元にある意味が分からなかった。こうやって書くと、嫌なガキのくせに意外とかわいい一面があるじゃないかと思う。
 一方で、この一連の動きはただ「同人誌がたまたま好みじゃなかったから手放しただけ」とも言えて、これがもしわたしの大好きな清熊もみじちゃん総受け男女カプ本だったらどうなっていたのだろう、と思わなくもない。どうなっていたのだろうというか、絶対に大切に手元に置いておいただろうな。二十年近く経った今でさえ、清熊もみじをピクシブで検索したりしているというのだから。
 わたしが言うのも何だろうが、同人文化の住み分けって本当に大切なんだなと、これを書きながら今改めて思った。わたしはたまたまその後同人文化に造詣のある大人に育ったからいいものの、チームの一年生と主将がセックスしてる漫画なんて、小学生が見ていいわけがないんだから。ふざけるなよ。


 さて、いろんなことがあったが、前述のとおりワンダーパニックは現存しない。閉店した厳密な時期は覚えていないが、運営会社の倒産が二〇一〇年らしいので、まあわたしが中学生か高校生くらいの頃だろう。

 ワンパニが閉店すると聞いたとき、こんなに思い出がたくさんあるのに悲しいとかなんとかより、とにかく率直に「困る」と思った。徒歩圏内でカルチャーを摂取できる場所がそこしかなかったのだから当然である。なんなら今でも、生活圏内に古本屋が一軒もないので不便だなぁとずっと思っている。
 閉店する前にレンタル落ちのいろいろが安く売っているらしいと聞いて、ワンパニにやってきた。当時すでにかなり落ち目のメディアだったVHSがレンタル落ちで一本五十円やそこらで売っていて、わたしはキテレツ大百科とセクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさんを何本か買った(お察しのとおり、わたしの好みやセンスは幼少期からほとんど変化していない)。恐らくこれがワンパニでの最後の買い物だったのだろうが、もうこのVHSも捨てたのかなんなのか、どこにいったかよく分からなくなっている。あったところでもう再生機器もないのだけれど。


 ワンパニの跡地はその後TSUTAYAになったが、もはやそのTSUTAYAも現存しない。今は鍼灸整骨院だか何だったか、わたしの生活と全く関係のない建物になった。その後近くに似たような店ができるわけもなく、池田駅周辺のサブカルチャーはほぼ潰えた。今の池田市の小中学生たちは、まぁ買い物はネットでできるとしても、友達とつるんだり暇を潰したりするのに、どこに行っているのだろう。家出をしたらどこに行くのだろう。もう三十路を越えたわたしの知らない地で彼らの思い出が育まれているのなら、なんだかそれってロマンがあって良いなぁと思う。

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