「バグる」消費活動を行動経済学で考える
先日、初めて「アート」を買った。
その数週間前にほぼ同じ金額のキーボードも買った。
「アート」の値段を正しく把握してから購入を決めるまでは体感約10秒くらいだった。
キーボードは存在を知ってからずっと欲しいと思っていたけれど、意思決定まで約3年間悩んだ。
そのキーボードは20代の私にとってはお高いけれど、職業柄毎日パソコンと向き合う身としては贅沢品ではなく、リセールスバリューもあるので自分自身への投資に近い感覚だ。それでも欲しいものリストに入れて、度々悩んでは先送りにしていた。
一方「アート」には実用性はない。たとえ「いつか値上がりがするよ」と言われても20代会社員の私にはまだ「投資としてのアート」に身銭を切れるほどの余裕はない。
この2つの消費活動の差分には「バグっているかどうか」の違いがあったと思う。
このバグの裏にどんな認知バイヤスがあったのかを考えていきたい。
「限定性の法則」「社会的証明」「プロスペクト理論」「アンカリング効果」などをマーケティング活動に応用することである種の「バグ」を狙う動きは日々タイムラインに流れてくる広告や店内のチラシでも見られてきたが、ここでいう「バグ」とは少し異なると感じている。
鍵になるのはラベリング効果
実用性を伴わない消費行動を説明する際に、一番わかりやすいのが「推し活」だ。
CDをなぜ何十枚も買うのか?
『各CDに1枚ずつ内包されているトレーディングカードをゲットしたい』
『握手会やビデオ通話の権利が当たる』
CDという媒体を使ってオタクはその先にある体験を買っている。
純粋に音楽を聴く手段としてCDを買っていた昭和〜平成初期には何十枚もCDを購入する光景は今ほど見られなかったはずだ。
今はCDを買うという行為が「音楽を聴く手段」というラベルから「握手会」「推しのトレーディングカードを当ててドヤる」という別の体験のラベルにすり替わっている。
いつも140円のブロッコリーが190円になるだけで文句を垂れ流して買わない私も、旅行に行くとコンビニで150円で買えるお酒を500円で買うことへの抵抗感が薄れる。
日用品・食費というお財布から出るか、旅行費というお財布から出るかなど、私たちは消費活動の中で無意識にラベルづけをしている。同じ野菜でも「オーガニック」を謳うことで健康にいいような感覚になり、「ただの食費」から「自己投資」「健康維持」などラベルが変わることでお金を使いやすくなるなどは想像しやすい。
高い買い物には言い訳が必要
数も限られていたこと、次々にアートを購入する人を間近で見れる展示会という特性から「限定性の法則」もあったと思うし、すでに作品を購入しているコミュニティメンバーの想いを聞ける「ウィンザー効果」もあったと思う。
ただ、どれもその時の私の意思決定の本質ではないように思う。
展示会の最中、Founderの二人がマイクを持ち、作品に込めた想いや今後の構想について語ってくれる時間があった。決してセールを煽るようなこと、値上がりのようなことは語っていない。話を聞いていて、「自分もこの当事者になりたい、一員になりたい」という想いが溢れた。
この感覚を的確に説明してくれる理論は見つからなかった。
「バグる」という感覚の芯をうつこの体験に無理矢理再現性を持たせるのであれば、「娯楽」というラベルから「所属」のラベルにシフトさせることかもしれない。
高い買い物には言い訳が必要だ。時短になる、便利になる、長い目で見たらお得など。
ものや情報が溢れる現代日本において、使い古されたこれらの言い訳だけではものが売れ続けることは難しい。これからは「同じ船に乗ることでこんなに面白い未来を一緒に作れる」「そこの一員になれる」という「所属」のラベリング・言い訳ができるような価値が必要だと思う。
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