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老舗しか持ち得ない価値

古いもの、歴史を重ねてきたものが好きだ。最新のトレンドアイテムにも惹かれるけれど、古さは一周まわると新しさになる。時代が変わっても次の世代に新鮮さを与えつづけるもの、普遍的な価値のあるものが好きだ。

先日、大日本市さんにお声がけいただいて参加した「登竜門」という企画の総括でこんな話をした。

「老舗感」って、新しいブランドには絶対に作り出せないんですよね。100年なら100年、歩んできた歴史の重みが老舗感ですから。手に取りやすいカジュアルなものを作るのもひとつのやり方ですが、長らく培ってきたからこそ見出せる普遍的なニーズを商品に反映させる方が結果的に「今っぽい」ものになる気がします。そのためには自分たちの商品や技術がが持つ、過去も今も変わらない価値を一度抽象化して考えるプロセスが必要になりそうですね。

大日本市は工芸を元気にするための展示会なので、歴史を重ねてきた作り手が多いのが特徴だ。登竜門でレビューさせていただいた商品もすべて歴史に裏打ちされたたしかなものづくりの技術が感じられ、私自身とても勉強になった。

一方で、今回の出展者に限らず一般的な傾向として老舗が今の時代にあった新しいものを作ろうとするとき、本来のよさを捨てて新しさを獲得しようとしてしまうことがある。その結果、魅力がうまく伝わらずもったいない状態になっているブランドやアイテムも少なくない。

愛好者の裾野を広げ、若者にも興味を持ってもらうにはたしかに「今っぽさ」が必要だ。ライフスタイルもこの20年ほどで大きく変化したので、現代にあわせたものづくりも求められる。

しかし「今っぽいもの」は、すでに若者たち自身が作り提供している。特に今はECをはじめるハードルも下がり、自分たちがほしいものは自分たちで作って販売できるようになった。彼らと同じ土俵でものづくりをしても限界があるのは、火を見るよりも明らかだ。

では若いブランドが真似できない老舗だけの強みとはなんだろうか。それは「歴史の厚み」だ。

新しいブランドの中にも、アンティークっぽいデザインやレトロな雰囲気を纏うものもある。しかしそれらはあくまで古さを演じているのであり、本当に歴史を積み重ねてきたわけではない。

Joseph PineとJames Gilmoreの著書「本物」の中でreal-fakefake-realという概念が出てくる。

※realとfakeのマトリックスは下記のTEDの講演がわかりやすい。

新しいブランドが古さを模倣することは、ディズニーランドと同じように「偽物の真実」を提供することに他ならない。古めかしい素材や手間のかかるライフスタイルを体現するためのアイテムは自然に時を重ねてきたものではなく、「そうありたいイメージに忠実である」以外のなにものでもない。

もちろんfake-realだからこそ提供できる価値もある。本当に古いものは使い勝手が悪いこともあるし、他のモダンなアイテムと合わせづらかったりもする。

けれど偽物としての歴史ではなく本当に長い時間を重ねてきたからこそ醸し出される魅力もあるはずだ。今っぽくアレンジされた古さではなく古さを古さのまま残しているからこそ、威厳や高級感が増したり、歴史の「味」を感じることができる。

「時代に合わせる」は必ずしも見た目を今風にすることと同義ではない。アイテム自体のデザインは変えずとも、伝え方で新しさがプラスされることもある。流行は繰り返すというように、若い世代にとっては古いままの方が「逆に新しい」と映ることもある。

一瞬で情報が広がり、模倣のハードルも格段に下がったけれど、積み重ねてきた年月だけは絶対に真似できない。創業から100年経った企業と同じだけの深みを出すには、これから100年かけるしかない。企業にとっても時間は平等である。

辿ってきた道のりが長ければ長いほど、その歩んできた時間は必ず強みになる。積み重ねられてきた知識や技術、ブランドに付帯するエピソード。どれも一朝一夕には得られない資産だ。

猛スピードで「新しさ」が消費されていく時代において、「古さ」は逆に勝ちになる。新しさを追いかけるために自分たちが育ててきた資産を捨ててしまわずに、古き良きものを守ることで「新しさ」がこちらに追いつくまで待つこともまた、ひとつの戦略と言えるのではないだろうか。

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