命の尊厳
十何年かぶりに、「アルジャーノンに花束を」を読んだ。
初めて読んだのはたしか中学生だった気がする。ユースケ・サンタマリア主演でドラマ化されたのを見て、子供心に「原作を読んでみたい」と思い、手に取ったことを覚えている。
当時どの翻訳版を読んだのかも忘れてしまったけれど、読み進めても読み進めても一度読んだことがあるような気がしなくて、初見のような気持ちで読んだ。あの頃の私は、子ども心にこの物語をどう受け取ったんだろう。
「アルジャーノンに花束を」は、知的障害を持つ青年が手術によって飛躍的にIQが向上する、というSF作品だ。物語は主人公のチャーリー・ゴードンが書く「経過報告」によって進んでいく。手術前の子どものような文体や描き間違いだらけの文章から、徐々に文体も洗練され、高度で抽象的な事柄も交えた書き方になっていく。この文体の変化から感じられるリアリティが「アルジャーノンに花束を」を名作たらしめているのだけど、この変化も踏まえて各言語に翻訳するのはさぞかし大変な作業だっただろうなと思う。そういう意味でも、翻訳家を変えて読み比べてみたい作品のひとつ。
この作品を読むにあたってはさまざまな切り口があると思うのだけど、今回私は、手術後のチャーリーが手術前の自分自分がどう扱われていたのかを自覚し、さらに高い知能に到達したあとも「実験動物」のような扱いをされていることへの怒りを通して、「尊厳」をめぐる物語として読んだ。
私たちは、無意識に線を引いて「尊厳」の範囲を決めている。人だけでなく、動物にはどこまで尊厳があるのか?どこまでを「普通の人と同じ」扱いにするべきなのか?
理想と現実のはざまで、常に揺れ動く永遠のテーマでもある。
ちょうど同じ時期に、「ダーウィン事変」という漫画を読んだ。
チンパンジーとヒトのハイブリッドである「ヒューマンジー」・チャーリーが、その出自ゆえにアニマルライツやアニマルウェルフェアといった問題に巻き込まれてゆく。
余談だけど、主人公の名前の「チャーリー」はやっぱり「アルジャーノンに花束を」を意識してのことなんだろうか。たまたまなのかな。
ダーウィン事変のチャーリーは、種の間に壁をつくらない。ヒトとチンパンジーはもちろんのこと、他の動物や虫にいたるまで、自分の身近に発生する生き物の苦痛を減らしたいというシンプルな原理で行動する。彼の目には、あらゆる生き物がただの「ONE」なのだ。
その代わりに、自分や自分の家族に危害を加える相手に対しても、種や思想の区別など関係なく、「ONE」として冷酷に反撃をする。その思想が垣間見えるシーンでは、思わず背筋がぞくっとさせられる。
サポートからコメントをいただくのがいちばんの励みです。いつもありがとうございます!