「つかれた」も「不機嫌」も、すべて言葉で説明する
あちこちで仕事をしていると、「忙しいでしょう」「大変でしょう」とよく言われる。
大抵は真実がどうであれ「そんなことないですよ~!」と明るく答えるのだけど、まぁ時にはしんどいときもある。
特に親しい友人や自然体で付き合っている人たちの前では包み隠さず疲れているので、もはや「疲れてるねぇ」と質問系ではなく確定系で言われることも多い。
さらに私は疲れると口数が少なくなってわがままを言うタイプなので、しんどいときは先に「今日は疲れているので輪をかけて自己中です」と宣言するようにしている。
ついでに、疲れている理由や今後の改善の見通しについてもシェアする。
それは私自身がつい人の顔色を見て気を使ってしまうタイプなので、相手のせいではなく自分のコンディションの問題だと先に断っておくためだ。
さらに、この山を越えれば落ち着くとか、余裕を作るためにこう改善する予定ということもあわせて伝えておけば、この不調は一過性だから我慢してあげようと思ってもらいやすいような気がしている。
どんなに仲良くなっても、言葉を尽くさなければ少しずつ認識がずれていく。
想像という余白は、悪い方向に回り始めるともう止まらない、ブレーキの壊れた自転車のようなものだと思う。
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私は本を読む意味を考えるとき、いつもこの言葉を思い出す。
すぐキレるのは自分の気持ちを表現する適切な言葉を知らないから。
たくさんの本を読んで言葉を知ればストレスは溜まらない。(美輪明宏)
人は、自分の気持ちがうまく伝わらないと感じるときに、その寂しさからイライラするようにできている。
そして、距離が近くなればなるほど何も言わなくてもわかってほしいと甘えたくなる生き物だと思う。
でもほとんどの場合は言わなければわからないことばかりだから、伝わらなくてまたイライラすることになる。
だったら、はじめから自分の状況と改善に向けての施策をシェアする方がより建設的だと私は思う。
私はなにより「喧嘩」というものが苦手で、人生の中でできるかぎりなくしたい時間トップ3に入っているほどだ。
よく喧嘩するほど仲がいいというけれど、それはプロレス的なものの話であって、感情のぶつけ合いは生産的じゃないと思うし、私にとっての喧嘩は「議論」か「交渉」のどちらかでしかない。
そして議論にしろ交渉にしろ、きちんと言葉を知らなければ相手には伝わらないので、語彙力を磨くことは自分自身が平和であり、さらにまわりとも平和であるために必要なことなのだと思う。
ただ泣くだけでまわりが気を揉んでくれていた子供時代を脱して、自分の感情を自分で伝えられるようになったとき、やっと人は大人になるのかもしれない。
自分の感情やコンディションをより正確に伝え、楽しい時間の方を一瞬でも長くとれるように。
言葉という武器を身に付けるために、私は今日も本を読む。
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