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自分の信じる価値観への葛藤

思いつめて死んだのだから、それでいいなんて、とんでもないことですわ。幸福に生きる道をはじめから奪っておいて、思いつめるも、つめないも、ただそれしかなかったんじゃありませんか。

城山三郎「大義の末」

三島由紀夫、吉本隆明、城山三郎。戦前生まれの作家、特にもっとも多感な10代の頃に終戦を迎えた作家たちは、自分の信じてきたものが一夜にして覆される、という体験の衝撃を生涯かけて書き続け、書くことで自問自答していたようなところがある。生まれてからずっと当たり前とされてきた価値観は、もはや「信じる」という意識すら越えて、私たちの骨身に染み込んでいる。今の価値観の延長線上で変化することはあれど、根底から覆ることなど未来永劫ないだろう。私たちは無意識にそう「信じて」いる。

けれど、実はこの世界に確かなものなど何もなく、どんなに強固な思想も主義も、いつでもひっくり返る可能性がある。

戦後作家たちの目線には、いつもそんなちゃぶ台返しへの怯えと猜疑心が含まれている、と私は思う。

自分が人生を賭けて信じたもの、追いかけてきたものが一夜にして無に帰し、むしろ「悪」であると断罪されるようになったとしたら。世の流れに付和雷同して、過去の自分、純粋にひたむきに何かを信じ努力してきた自分たちのことまで、簡単に否定できるだろうか。

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思索綴

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