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時を超えるものに共通する潔さ

昔からなぜか、「長く愛されてきたもの」が好きだった。

中学の部活で武道を選んだのはたまたまだったけれど、「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」というフレーズはいまだに諳んじられるくらい好きだったし、着物もずっと好きで、祖母にせがんで着せてもらったり、和ダンスに入った着物を眺めるのも好きだった。

そして大学時代のアルバイト先にGODIVAを選んだのもその歴史の豊かさとブランドのヒストリーに惹かれたからだったし、就職先を「百貨店」ではなく「三越伊勢丹」で選んだのも、越後屋から連綿と続く歴史ゆえだと思っている。

私は「時を超えるもの」が好きで、自分自身が作るものもできるだけ長く愛されてほしいと思っているし、永続的な仕組みにできるかどうかの意識も人より強いと思う。

「残ったものがいいもの」とは必ずしも言えないが、「いいものは残る」ということは確実に言える。

「時間」というフィルターは、何よりも信頼がおける。

昔のものが今に残っているということは、先人たちが「これは残すべきだ」と努力した結果であり、さらにどんなに時がたってもその時代時代でそれぞれに「いい」と思わせる何かをもっているからだ。

そして長く残るものの共通点は、「潔さ」にあると私は思っている。

より簡単に言えば、シンプルであること。

そしてシンプルであるために、本質以外の枝葉末節をばっさりカットするだけの潔さがあるということだ。

私自身、自分で毎日文章を書いている中で、「これはいまいちだな」と思う文章は常に結論に迷いがある。

そしてそういう文章は、実際にあまり人の心を打たないようで、シェアも少ないし、何より後から時間をおいて読まれることが少ない。

逆に自分の中で結論がはっきり定まっていて、書き始めから書き終わりまで息つく暇なく一気に書き上げた文章は、1年後でもシェアされて読まれ続けている。

きっとみんな意識しているわけではないけれど、無意識に人の「迷い」の有無を嗅ぎ分けているのだと思う。

本を読んでいても、読んだ後に「これはいい本だった」と思うものは、はじめから最後まで主張が一貫していてわかりやすい。

このブレなさ、つまり全体を通したメッセージ性の強さこそが、時代を超える名作の共通点なのではないかと思う。

それは本に限ったことではなく、アートでも音楽でも写真でも同じこと。

「その作品のメッセージを一言で表すと?」に答えられる強さこそが、時代を超える名作になれるかどうかの分水嶺なのだろうと思う。

そして面白いことに、このメッセージ性が削ぎ落とされてシンプルになればなるほど、受け手の解釈の幅が広がるという性質がある。

たとえば「過ぎたるは及ばざるがごとし」という有名な教えがあるが、メッセージ性がシンプルだからこそ人生のあらゆる場面に当てはまり、有用な教えとして重宝され、長い時間を超えて多くの人に影響を与える言葉となった。

また、日本庭園や茶室のシンプルさも同様で、シンプルだからこそ見るものの心に想像の余白を与え、時代を超えて人々に「美」の感覚を与えてきた。

つまり、時代を超越するということは、いかにシンプルにするために枝葉末節を削ぎ落とせるかにかかっていると言っても過言ではない。

そしてそのためには、自分の中に一切の迷いをなくし、「確信」をもつ必要がある。

日々いろんな本や記事を読み、人の話を聞いていると情報がバラバラに存在してしまいがちだが、本当はそれを収束させるフェーズこそがもっとも重要な工程なのだ。

たとえ世界中が反対しようとも、自分だけは「これだ」と確信をもてるもの。

その確信をベースにしたアウトプットこそが、時を超えて世を動かす原動力になるのだろうと思う。

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