関係性のラベルと、グラデーション。
私たちは、普段の生活の中でたくさんの役割を演じている。
友達、恋人、先輩、後輩、妻、母、娘、同僚、取引先。
接する人の数だけ、役割の数があると言っても過言ではない。
その中でも、「家族」「恋人」は特に重視されるラベルではないかと思う。
「私はこのコンビニの常連なのかな」と悩むことはないが、「私はこの人の恋人なのかな」という悩みは、誰しも一度は持ったことがあるはずだ。
特にその悩みの最たるものは「妻」というラベルで、薬指に確固たる証拠を得るために四苦八苦する女性も多い。
みんな、ラベルがほしいのだ。
一生はがれない(ように見える)ラベルが。
本来ラベルは手段でしかないのに、そのラベルのために、私たちはいつも疲弊している。
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「告白」というものがあまりよくわからない、という話をすると、いつも怪訝な顔をされる。
私からしたら、友達に「私たち、今日から友達ね!」と約束したりしないのに、「今日から恋人ね!」という約束は絶対すべきものという風潮の方が、よっぽど不思議だなと思う。
さっきまで「友達」として会っていた人が、急に「恋人」になるスピード感に、心がついていけなくなったりしないのだろうか。
私にとって人との関係は、ラベルよりもグラデーションのような感覚に近い。
友達の中でも濃淡があるし、仕事関係と友人関係が混じっている人もいるし、その関係性も時期によって少しずつ変化していく。
まわりから見たときのラベルが何だろうと、一番大切なのは「私とあなた」が楽しい時間を過ごせることだ。
そこに無理矢理ラベルをつけて、お互いに役割を意識するが故に期待をかけすぎたり、わがままを押し付けたりして楽しかった時間が苦痛になってしまっては、本末転倒というものではないだろうか。
「私とあなた」には、「私とあなた」の関係がある。
ただそれだけでいいんじゃないかと思う。
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「恋人とは、嬉しいことがあったときに一番に伝えたい相手のことです。」
ラベルとグラデーションについて考えるとき、昔なにかのコラムで目にしたこの定義を思い出す。
恋人だけではなく、親友とか家族とか、自分に近い人は総じてこの定義に当てはまるものだと思う。
ただ連絡頻度が高いだけではなく、何か嬉しいことがあったときに、まずはじめに顔が浮かぶ人。
それは、自分のニュースが相手を喜ばせるという確信があってこそではないだろうか。
周りから見た関係性が親友だろうと家族だろうと恋人だろうと、そうした嬉しい報告を伝えたい相手がいる状態を、人は幸せと呼ぶのだろうと思う。
私たちが本当にほしいのは、ステータスでもなくラベルでもなく、ただシンプルに、嬉しいニュースに対して「よかったね!」と一緒に喜んでくれる人なのだ。
ラベルがほしくなったり、不安な気持ちになったら、まずは自分が相手に対して素直に「よかったね!」と一緒に喜べているかを振り返ってみよう。
「私とあなた」の関係は、そういうシンプルなことで形作られているはずだから。
(Photo by tomoko morishige)
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