"悪い日"なりの戦い方

定期的にランニングしていると、はじめの1kmを走ってみるまではその日の調子がわからないことに気づく。
気温や湿度はもちろん、食前か食後か、連日か隔日か、その日のコンディションなど様々な要素が絡み合って『調子』は決まる。
たっぷり寝て体力が充実していると思っていても、いざ走り出してみると足が重たく感じられる日もあれば、ややコンディション不良だと感じていたのにベストタイムを叩き出す日もある。
その日の調子は、走り出すまで自分自身にもわからない。

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ピッチャーは、誰もが口を揃えて『立ち上がりは不安だ』と言う。
どんなベテランでも、一球目を投げてみるまでその日の調子はわからないと往年の名選手も解説で話していた。

その日の自分の体調は自分が一番よくわかっているはずなのに、なぜ立ち上がりを不安に思うのだろう。
私はずっとそう疑問に思ってきた。

しかし自分が定期的に体を動かすようになって気づいたのは、体調と調子は似て非なるものである、ということだ。

アスリートたるもの、誰もが試合に向けて体調を万全に仕上げてくる。
それでもちょっとした調整のかけちがいで、いつもの力が出せないこともあるのだと思う。
それはメンタルの問題もあるだろうし、場所が自分にフィットしているかもあるだろうし、事前準備の組み合わせによる化学変化もあるかもしれない。

ただ確実にいえるのは、競技人生において常に最高の調子で戦えるわけではないということだ。

いい日があれば、悪い日もある。
自分の調子がよくても、それ以上に相手の調子がいい日だってある。

最多勝投手だってそのシーズン中にはボコボコに打たれる日が必ずあり、最多安打を記録したバッターだってまったく打てずに打率を落とす時期もある。

それでも、マウンドに立ち続けなければならないし打順は律儀に回ってくる。
仕事は私たちの調子を忖度してくれたりはしない。

そんなとき私たちにできることといえば、悪い日なりになんとかまとめることしかないのだろう、と思う。

野球界には『試合を作る』という言葉がある。

先発ピッチャーがマウンドを降りるとき、悪いなりにも最低限の失点で抑え試合のリズムを作れた場合には『試合を作った』と評価されるし、序盤に大量失点して早々に中継ぎにバトンタッチした場合には『試合を壊した』と言われる。
もちろん先発だけではなく、中継ぎ投手が試合を壊すことだってある。

バッターの場合は、『最低限の仕事を果たした』と言われることもある。

本当はホームランがほしい場面でも、とりあえず犠牲フライで1点入ったからOKとか、自分はアウトになったけれど結果的にランナーを送ったからOKとか。
想定されうる最悪の自体は回避して、今の自分に期待される結果を最低限満たすこと。
スタメンに名を連ねるような選手たちは、一様にこの『最低限の仕事』のレベルが高い。

仕事の評価は、結局アベレージなんじゃないかと私は思う。
ホームランはたしかに記憶に残る。
でもプロとして長年活躍している人たちはバントも盗塁も犠牲フライも駆使して、ちゃんと1点を取りにいっている。

いいときも悪いときも全部ひっくるめてその人の評価なのだとしたら、プロの力は『悪いときも悪いときなりにまとめること』なのかもしれない。

調子が出ない日も諦めて放り出すのではなく、それはそれとしてなんとか走り続けること。
足の重さを感じつつも走りきったあとに感じたのは、足を前に踏み出し続けることの偉大さだった。

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