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「捨てるほどではないもの」が流れ着く場所

国中の落し物は、最終的にノーフォークに流れ着く──。

カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」に、子供たちがノーフォークを「イギリスのロストコーナー(遺失物保管所)」と呼び、いつかそこに行けば失くしたものもすべて見つかるのだと盛り上がるシーンがある。

正確には、授業で先生が発した「ロストコーナー」は「忘れられた土地」という意味だったのだけど、英語では「遺失物保管所」の意味もある。そのために、子供たちは何かを失くすたびに「いつかノーフォークに行けば見つかるさ」と励まし合う。外出が許されない管理された環境下だからこそ、いつか自由に外に出られる日がきたら、という希望も込められていたに違いない。

当然のことながら、ノーフォークの海岸に失くしたものすべてがうち上げられるなんてことはない。大人になって実際に足を運んだ主人公たちは、その現実にがっかりする。

それでもたしかに、あの頃なくした「何か」がそこに流れ着いてきていたのだ、と感じさせる物語ではある。けれど同時に、一度手放したモノはもう二度と戻ってこないのだ、とも思わされる。

子どもの頃の宝物は、成長するにつれて取るに足りないものになっていく。お気に入りのおもちゃも一生懸命に描いた絵も必死に集めたどんぐりも、数年経てばゴミ同然となり、扱いも雑になるしいつのまにか捨てられていたりする。

さらにそこから数年、十数年経ったある日ふと思い出したときには、大切なものはもうすっかり失われてしまっているのである。

私はこのノーフォークのくだりを読んだとき、ふと「私にとっては実家がノオーフォークなのかもしれない」と思った。

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804字

思索綴

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