「解釈」の暴力性
私はドラマや映画の感想を書いたあと、SNSに投稿する際は公式アカウントに発見されるようなメンションやタグを極力つけないようにしている。同じものを見た人同士で感想を共有するためにハッシュタグをつけることはたまにあるけれど、それもできれば公式側にはあまり見つかりたくないと思っている。
見られて困ることが書いてあるわけではない。私は褒め称えたいを思ったときにしか文章を書かない。なので、基本的には見つかって喜ばれるタイプの感想を書いていると思う。
それでもあまり積極的に公式側に見つけてもらおうとしないのは、「解釈の暴力性」を私自身よく理解しているつもりだからである。
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