見出し画像

地縁と血縁のソーシャルキャピタル

「人は年月を経たとき、生まれた文化に帰属する日が必ず来る」

先月読んだ本のなかにこのフレーズを見つけたとき、思わずハッとさせられた。グローバル化が進み、ライフスタイルが世界的に平準化していく流れに逆行しているようにも見えるけれど、どれだけ変わってもこれはひとつの真理なのではないか、という気がする。

「生まれた文化」は、必ずしも国だけを指すわけではないと思う。その人が置かれた状況によって、感じるなつかしさは変わる。外国にいれば「日本」という括りになるだろうし、東京にいれば「地方」になるかもしれない。地元に暮らしていても、実家の習慣がなつかしくなることもある。

ただ、なんにせよ、人は自分が生まれ育った環境からは逃れられない。生育過程で習得した常識や感性を離れて、「自分」を保つことはできない。だから、外の世界にでて新しい刺激を一通り経験したら、生まれ育った文化を懐かしみ振り返ることで、自分を構成するものがなんだったのかを確かめたくなるのだと思う。

そして自分が育った文化を振り返るとき、そこに長く豊かにつづく物語がどっしりと存在していることが、人を安定させるような気がしている。

ここから先は

2,118字

思索綴

¥390 / 月 初月無料

消費と文化、哲学と営み、人の世の希望と悲しみについて考えを巡らせていくマガジンです。本を読んで考えたこと、まちを歩いて感じたこと、人との対…

サポートからコメントをいただくのがいちばんの励みです。いつもありがとうございます!