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私たちはずっと同じところにはいられない、けれど。

「サインくださ〜い!」と叫ぶちびっこの声。
それに答えて近寄ってきたかと思うと、彼は突然立ち止まって耳や胸をさわりはじめた。

色紙に書く「サイン」ではなくて、試合中にチームの作戦を伝える、ボディランゲージとしての「サイン」。

サインをねだるファンの声に、そんな茶目っ気たっぷりの返答をする姿が、いまだに記憶に残っている。

川﨑宗則。
九州人ならば、誰もが大好きなスーパスターだ。

王子さまのような整った顔立ちと、しゅっとした姿。
そしてホークス不動のショートとしてチームの中核を担ってきた活躍ぶり。

どれをとってもスーパースターそのもので、アメリカでの挑戦から古巣ホークスに戻ってきたときは、またムネリンが見られる!と年がいもなくはしゃいだりもした。

ムネリンの姿は、私たちを童心に帰す力がある。

このまま納得いくまでホークスでプレーしたら、いつかコーチになって若鷹たちを育ててくれるのだと誰もが信じて疑わなかった。

「退団」のニュースが、流れるまでは。

たしかに打撃の不振は疑いようもない事実だった。
年齢を重ねれば昔のように守備にはつけなくなってくるし、何より今のホークスには空いている席がない。
内野はすべて一流選手で埋められている。

それでも、退団のニュースはあまりに突然だった。
入院しなければならないほど体調を崩していたことも、ファンにとっては二重にショックだった。

もし帰ってこなかったらどうしよう。まさかこのまま引退なんてしないよね。
スーパースターの突然の退団に、ホークスファンのみならず野球ファンみんながざわついた。

しかし待てど暮らせど、ムネリンの今後についてのニュースは流れてこない。
年齢を考えれば、このまま現役生活が終わってしまうことも覚悟しなければならないかもしれない──。

誰もがそんな諦めを感じ始めた頃、電撃ニュースが飛び込んできた。

「川崎宗則、台湾で球界復帰」

ホークスへの復帰ではなかったことに少し落胆はしたけれど、ムネリンがまた野球を続けようとしてくれていることが嬉しかった。
続けてさえいれば、そこからまた何かが起きる。
9回まで何が起きるかわからないのが野球なのだから。

とはいえ台湾はやっぱり遠くて、なかなか動向を追えずにいた。
日本の情報を追うだけで手一杯で、ムネリンが現地でどう野球と向き合っているのかを追う余裕がなかった。

そんな中、年明けに西岡との対談記事が公開された。

ムネリンも西岡も、私にとってはその全盛期を知っているスーパースターだ。
2人ともNPBで華々しく引退試合をすることだってできたはずなのに、野球を続けたいという一心で泥臭く野球を続けている。

野球選手は、私たちの2倍のスピードで年をとる。
普通のビジネスパーソンであれば30歳は「これから」の年齢だが、野球選手にとっては体力も動きのキレも落ち、選手として「下り坂」を意識せざるを得なくなる。
私たちが65歳で迎える「定年」は、野球選手にとって32、3歳あたりで起きることなのだ。

それでも長く続けたいと願う選手たちには、若手の頃とは異なる努力が求められる。

特に葛藤が大きいのは、自分の成功体験をアンラーニングすることなのではないかと思う。
若い頃と同じことを続けていれば、体力や筋力の低下とともに結果も落ちていくばかりだ。

だからこそ体の使い方も、プレースタイルも、すべてを変えなければならない。

それはある意味で、「できない自分を受け入れる」ということでもある。

先発エースとして活躍してきた選手が中継ぎに配置転換されたり、ゴールデングローブ賞に何度も輝いたことのある選手がコンバートやDHによって守備機会を減らされたり、起用方法も変わる。

どんなに頑張っても、全盛期の自分に戻ることはできない。
それがわかっていても、野球選手としての価値を維持し続けるためには、今の自分を直視して、今の自分にできることをやるしかない。

彼らの覚悟が並大抵のものではないとわかるからこそ、記事を読みながら涙が溢れて止まらなかった。

今年放送された「ザ・ヒューマン」の最後に、ムネリンは言った。

「でもやっぱり、結局はやってしまうんでしょうね。好きなんだから。
まあ、野球選手ですから」
と。

「好きを仕事にする」が巷ではもてはやされているけれど、それはある意味残酷なことだと私は思う。

どれだけ苦しいことだとわかっていても、何度挫折しても、それでも続けてしまうもの。自分を捉えて離さない場所。

これだけボロボロになっても、それでも続けてしまうのが「好き」ということなのだと、ムネリンの背中に教えられた。

自分の体も置かれた環境も変わっていく中で、それでも変わらずに続けていくことは、これだけ辛く苦しい道なのだと。

そして思った。ムネリンはやっぱり今もかっこいい、と。

私にとって、ムネリンはずっとスーパースターで、王子様だった。

今のムネリンのかっこよさは、昔のようなかっこよさとは少し種類が違うかもしれない。
でも、今も昔も全力で野球と向き合うムネリンはやっぱりかっこいい。

たとえ種類は変わっても、ムネリンはいつも私たちに元気や勇気や、活力を与えてくれる。

この世に、ずっと変わらないことなんてない。
スーパースターだって衰えゆくし、栄光は長く続かない。
私たちも、ずっと同じところにはいられない。

その残酷さを受け入れながらも、明日への希望を持ち続けること。

私のスーパースターは、身を以てその希望を体現しつづけてくれている。

大好きなムネリンが、今年も怪我なく自分の納得いくプレーをし続けられますように。

▼野球サークルもやっています。



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