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私は人前で喧嘩ができない

金曜の0時過ぎ、渋谷駅。

この条件が揃ったとき、必ず見かけるのが改札前で喧嘩しているカップルだ。

私はいまだかつて自分の身にそんなシチュエーションが振りかかってきたことはないので、いつも不思議な気持ちで通りすぎている。

そう、私は人前で喧嘩ができない。

***

「別れ話って、どこでするのがベストなんだろう」

これまでいろんな人に相談してきて、いまだ解決されていない悩みのひとつである。

下手に外で別れ話をすると、泣かれるのが困る(自分が泣くという発想はない)。

かといって、唯一のプライベート空間であるどちらかの家で話すとなると、逃げ場がなくて困る。

今のところの暫定的な最適解は、相手の家でバーっと話して去る、くらいだろうか。

こんなことに真剣に悩むくらい、人前で感情をあらわにしたくないし、あらわにしている相手も見たくない。

人前で感情を出すのは恥ずべきこと、という価値観が植え付けられたのはいつ、何がきっかけだったのだろうか。

***

人前で喧嘩ができないのと同じくして、私は感情的な文章が書けない。

この文章も、プライベートな感情を織り混ぜて赤裸々に書いているように見えて、あくまで他人事のような視点で書いている。その自覚はある。

だから、身を切るようにして赤裸々な叫びを文字にしている人は強いなと思う。
一見弱く見えるけれど、実は彼女たちの方が何倍も強い。
そう、大抵そんな強い文章を書くのは「彼女たち」だ。
私には少し、女性的な強さが欠けているのかもしれない。

***

だからといって別に人前で喧嘩してみたいわけではないし、よく「本気で好きになったことがないんじゃない」と言われるのもまったくもって余計なお世話だと思う。

喧嘩しているカップルにはそのカップルの世界があって、その側を早足で通りすぎる私には私の世界がある、ただそれだけのこと。

人はいつだってないものねだりだから、炎の中で身を焦がして生きる人たちをたまにうらやましく思ったりもするけれど、「なれないからうらやましい」と「なれる気がするから憧れる」はまったく別物だ。

あの喧嘩の先にある深夜1時は、私にとっては未知の世界。
そこにあるのは幸せなのか不幸なのか、私の想像の範疇を超えている。

同じ渋谷駅からはじまっているはずの物語の終着点を、私はまだ想像できないでいる。

(photo by tomoko morishige

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!