ファンタジーに惑わされない
昔から「隣の芝生は青い」と言いますが、SNSの普及によってますますその傾向が強くなっているように思います。
Facebookは結婚した・子供が生まれた・起業した・転職した・調達に成功したといったライフイベントのオンパレードだし、Instagramは"いいとこ取り"ならぬ"いいとこ撮り"に溢れています。
個人的にInstagramで素敵なごはんやインテリアを投稿している人のことを"インスタの妖精"と呼んでいるのですが、これはあくまでファンタジーであって普通の日常の一部だけ切り取ってキラキラに見せているのだ、と毎回意識して眺めるようにしています。
そうしないと、無意識に「こうなれない自分」を責めてしまいがちだから。
本当はその投稿の裏にだってドロドロした感情や不安や悩みもあるはずなのに、私たちが目にする他人の世界はキラキラしているようにしか映らない。
そもそも他人のことはその人が見せたいと思った部分しか見えないようになっています。
それに対して自分からは24時間どんな状況でも逃げられないので、いいときも悪いときも知っているが故に、他人のいいときと自分の悪いときを比べて「私はなんてダメなんだろう…」と思いがち。
かくいう私も、FacebookやTwitterで記事更新や会社のことを書くことが多いので「最近キラキラ投稿が多いねー!」と言われるのですが、私は私でそう言ってくれる人のことをいいなー、うらやましいなー、と思っていたりします。
お互いにいいね、うらやましい!と言い合って高め合える関係であればいいけれど、実際にはそううまくはいかないもの。
特に同性同士だとちょっとしたライバル意識というか、嫉妬心のようなものが湧いてくることが多いのではないでしょうか。
「自分と他人を比べるな」と簡単に言うけれど、人が社会的な生き物であるかぎり人と自分を比べて相対評価することは避けて通れないものだと思います。
特に女性は結婚する/しない、子供を産む/産まないという大きな選択肢があり、どれを選んでもそれぞれの選ばなかった道に後悔が残るものだし、自分と違う道を選んだ人に軽い嫉妬心を覚えるものです。
自分と同じ分野や職業で自分より活躍している人への嫉妬向上心の裏返しでもあるのである意味健全ですが、そういう"選ばなかった道"への嫉妬はいい側面だけを見たファンタジーへの嫉妬であり、今から目をそらそうとしているだけでしかありません。
仕事で疲れた帰り道にInstagramで友人の子供の写真を眺めていると絶望感にさいなまれますが、逆に私の仕事関係の投稿が平日の昼間に泣き止まない子供と家にいる友人に絶望を与えていることもあるかもしれない。
こうしてお互いに絶望を与えあわずにすむためには、時々違う立場の人と話していいところも悪いところも知り、ファンタジーをリアルに変えることが必要なのではないかと思います。
なぜ私はその道を選ばなかったのか。
私たちは上とか下とかではなく、ただ、別の道を選んだだけ。
いいところだけを見てファンタジーに惑わされるのではなく、それぞれのリアルを知ることで「私とは違う道に幸せを見出した人」をもっと祝福していけるような気がします。
(Photo by tomoko morishige)
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私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら:人のフィルターを通して見る世界
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