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銀座という街の不運

「ニューヨーカー」と名乗るには、7年はかかるのだという。銀座も同じく、「銀座を知っている」と言うにはそのくらいの年月が必要だと言われる。

私は銀座エリアに住んだこともなければ、職場だったこともないけれど、15年近くコンスタントに通い続けているので、普通よりは少し銀座を知っていると言っても差し支えないのではないかな、と勝手に思っている。

大学生の頃から渋谷や表参道よりも銀座のほうが好きで、買い物も友人とのお茶も、銀座での思い出が一番多い。どこに何があって、どこが穴場で、どこを歩けば早いか、たいていの情報が頭に入っている。なので何をするにもつい銀座に足を運んでしまうし、お気に入りのコースも決まってくる。街の移り変わりにも、自然と敏感になる。

あるとき、「ドアマンが立っているお店が減ったな」とふと気づいた。

10年前、15年前にドアマンがいるお店がいくつあるかを数えていたわけではないので本当に減ったのか正確なところはわからないけれど、いわゆる「ブランド通り」に面したお店に、ドアマンが必要ではなさそうな雰囲気のブランドが増えたのはたしかだ。

細い通りに入ったところにあるお店の顔ぶれも、この十数年でだいぶ様変わりした。特にこの三年のあいだに、個人経営の着物店や画廊、洋食屋、純喫茶といった老舗の名店を閉じるという報せを目にすることが増えた。と同時に、なんだか街全体がのっぺりしたような、他のエリアとの違いが曖昧になりつつあるような、一抹の不安と寂しさが胸をよぎる。

銀座が、少しずつ「特別」ではなくなっていく。そこには人間には抗いようのない力学が働いている。それは銀座が栄えた理由でもあるし、平準化されてしまう不幸の原因でもある。

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思索綴

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