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非日常の中で日常を過ごすことと、孤独のたしなみ。

一応昨日でnoteの更新はお休みしたはず…なのですが、習慣とは恐ろしいもので、「今日何も更新していない」と思うと空き時間に何か書こうと脳みそが動き出すようです。そろそろ寝てくれわたし。

さて、普段はこの時期一切出かけないことにしている私ですが、今年は珍しく海外で年越しなのでうきうきです。

なぜ年末年始出かけないことにしているかというと、九州・北海道の飛行機組は盆正月のチケット代がえらいことになるからです。

約10年前に上京してから、いわゆるハイシーズンに帰ったのは2回だけ。

大学卒業の年に「百貨店に就職したら、もうしばらくは帰れないだろうから」と帰ったときと、社会人4年目あたりに法事か何かで帰ってこいと言われたとき、その2回以外はどこにも行かず毎年東京で年を越してきました。

みんなが帰省したり、年末年始で旅行したりして人がごっそり減った東京。

人によっては「寂しい」と思うのかもしれないけれど、私はなんだかんだでそんな活気のない東京のまちが好きだなぁ、と毎年思っています。

それはある意味、みんなが非日常を過ごしている中であえて日常を過ごしている、という逆説的な特別感があるからなのかもしれません。

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今年は珍しくそんな非日常の東京から抜け出して人生初の海外での年越しですが、うきうきする気持ちと裏腹に、いつものしんとした年末年始の東京が恋しい気持ちもあります。

孤独との付き合い方にも慣れ、むしろつかず離れずの相棒のような、ときどきはそっと寄り添ってほしいような気持ちになっていくのは、年を重ねることの利点のひとつのようにも思います。

ときには孤独に、内省する時間をもつこと。

周りがどうしているかよりも、自分がどうしたいかを軸に決断するための孤独のたしなみを身に付けるのは、大人に必要不可欠な素養なのではないでしょうか。

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