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「正当化」をしない訓練

金沢で鈴木大拙美術館に行ったのをきっかけに、以前買って積読にしていた『禅と日本文化』を読み始めた。

禅の世界では、頭で考える『分別』に至る前の無分別な状態から生まれる真理を重視する。

それは西田畿太郎のいうところの『直観』にも近いものだと思う。

理屈をつけて言語化しなくても、私たちは自然に『わかる』ときがある。

岡潔はその状態を『しみじみと懐かしい気持ちがするもの』と表現していた。

こうした話は合理的な説明が難しく、精神性に寄りがちなため長らく文明的な態度ではないとされてきた。
しかしこの数十年で合理的思考の権化のようなアメリカですらも瞑想や禅の思想に注目され、合理的・論理的な思考だけでは説明できない世界があると誰もが認め始めている。

言葉は、強力なツールだ。

ふわふわしたアメーバのような状態の感情を言葉という箱に入れることで、他者に思いを伝え、自分にとってよりよい世界を構築することができる。

しかし時に、言葉という箱からこぼれ落ちてしまう感情もある。

すべてがきっちりと枠に収まるわけではなく、それぞれにちょっとずつズレたイメージを交換し合うことがきっかけで、時に諍いにつながったりもする。

特に感情の正当化は恐ろしい、と私は思っている。

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