言葉を紡ぐとき、私は「私」を取り戻す。
「よく毎日あんなに文章書けるね」
1日1回はそう声をかけられる。
もちろん日によってはネタがなかったり、疲れて帰ってきて諦めそうになることもある。
それでも書き続けているのは意地もあるかもしれないけれど、私にとって書くことは苦行であると同時に癒しにもなっているのだと思う。
会話には少なからず他者が介在するけれど、書いている最中はほとんど他人からの影響は受けない。
ただひたすらに自分と向き合い、思想を反芻し、内側からわき出る言葉を紡いでいくだけだ。
大人になればなるほど、社会的に求められる役割の数が増えていき、それに適応することこそが優秀とされる。
TPOをわきまえ、相手のニーズを満たすためには、無意識のうちに求められているキャラクターを演じることもあるだろう。
そしてあるときふと、迷子になっている自分に気づく。
自分自身が人混みの中に紛れてしまって、私という存在がどこにいるのかわからなくなるのだ。
だから私は、ちょっと目を話した隙に中心の軸を失ってしまいそうな自分をとどめておくために、文章を書く。
ひとつひとつの言葉を紡ぐとき、私はいつも自分を取り戻している。
「自分のために書く」というのは、本来そういうことなのではないかと思う。
有名になるとか、知識をつけるなんていうのは副次的な効果でしかない。
自分という根を下ろし、地に足をつけて生きるために。
私はいつも「書く」ということを通して、自分自身を取り戻している。
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