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「心の栄養」としての、ジャンクな食べもの

ハンバーガーチェーンのポテトにこってりしたラーメン、砂糖がたっぷりかかったドーナツ、しゅわしゅわ甘いコーラやソーダ。

どれも「体に悪い」と言われる、ジャンクフードの代名詞だ。

大学生の頃はこうしたジャンクフードを好きなだけ食べて、記憶がなくなるまで飲んで、健康に配慮するなんて老人のすることだと思っていた。

でも、少しずつ年を重ねるにつれて、食べるものが自分のパフォーマンスに大きく影響することに気づく。

それでもジャンクフードと呼ばれるものたちの誘惑は強力で、飲んだ帰りにふらりとラーメン屋に寄りたくなったり、休みの日のランチにあのぺしゃんこなハンバーガーを食べたくなる日もある。

「食べたい」という気持ちと「食べちゃダメだ」という気持ちのせめぎ合い。

これは、多くの人が経験したことのある心境ではないだろうか。

私は大抵の場合その誘惑に負けがちなので、いつも罪悪感をもちながらもそもそと口にしている。

大人になるほど知識は増えがちで、これを食べたらせっかく朝考えてとった栄養が台無しになるとか、これだけカロリーを摂ったらどれだけ運動しないといけないのだろうかとか、そんなことを考えながら落ち込む食事時間。

しかし、その時間こそが、食べ物自体の栄養以上に不健康なのではないかと思う。

どんなに栄養がなかったとしても、自分が「おいしい」と思うものをおいしく食べることは、少なからず自分の心の栄養になる。

どんなに栄養価が高くても、おいしくないものを嫌々食べ続けたり、極度に食事を制限して我慢しつづけていると、先に心がまいってしまう。

おいしいけれどちょっと罪悪感があるものたちは、できれば気のおけない仲間と他愛ない話でもしながら、「おいしい」と「楽しい」を存分に感じる方が、長い目で見ると健康につながるのではないかと思うのだ。

もちろん食べずにすむならそれに越したことはないけれど、人は一度おいしい味を知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。

であるならば、食べたあとに「やってしまった」と後悔するよりも、「おいしいものをしっかり食べたからまたがんばろう!」と次への糧にする方が、よっぽど健康的な考え方だと思う。

長い人生、ときには自分を甘やかしながら、自分が一番ハッピーでいられる状態を模索していきたい。

普段なるべく食べないようにしている小麦をふんだんに使ったドーナツを食べながら、言い訳のようにそんなことを考えていた。

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