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思い出と幻の境界線

大学生の思い出の場所といえば、大抵は渋谷とか新宿のような「若者の街」、もしくは大学の最寄り駅が一般的だろう。繁華街にあるチェーン居酒屋やカラオケで夜通し飲んで、誰かの家になだれ込んで雑魚寝して、一限に行きそびれたりする。私も御多分に洩れずそんな大学生らしい思い出がたくさんあるけれど、思い出の街はと聞かれたら「銀座」と即答する。20代の思い出の大半は、銀座の街に散らばっているような気がする。

銀座にはじめて訪れたとき、窮屈な東京の中で唯一呼吸ができる街だと思った。ビルが密集する景観は他の街とそう変わらないけれど、お店側も行き交う人たちの側も余裕と気品があって、それぞれが自立した価値観を持っているからこそ成り立つ街。月日が経ってだいぶ雰囲気も変わってしまったけれど、銀座という町の根底にある魅力は今もそこに漂っている。

大学生の頃は、友人を誘うと「銀座は私たちが行っていいような街じゃないでしょ、何着て行っていいかわからないし」と言われていた。今はすっかり銀座もカジュアル化してしまったので、大学生も気後れしたりしないのかもしれない。でも当時はユニクロもなかったし、H&MやForever21ができるかできないかくらいの頃だった。銀座は大人のための街で、大学生がずけずけと入っていけるような場所ではない。そんな空気が、たしかにあった。むしろその近付きがたさに、私は惹かれたのかもしれない。

当時、あるお店によく連れていってもらった。30年以上変わらず営まれてきたそのお店は内装もグラスもその年月が美しく刻まれていて、まさに非日常の空間だった。ウィスキーの銘柄も綺麗な座り方もお酒のグレードによってグラスが変わることも、そのお店で学んだ。「シャンパン」ではなく「ヴーヴ・クリコ」とオーダーするようになった。高いお寿司屋さんの玉子にはお店の名前が焼き付けてあること、夜中まで開いているケーキ屋さんがあること。夜の銀座も好きになった。

一度だけ、「文壇バー」といわれる場所に連れて行ってもらったことがある。文壇華やかなりし頃、文豪や出版関係の人たちが夜な夜な集う社交場だったそうだ。出版不況が言われ出してからはめっきり客層も変わっちゃったけどね、とママが教えてくれた。高級クラブに女性が行くと、膝の上に敷くための真っ白なハンカチを渡してもらえることも学んだ。

それまで、銀座の7丁目から8丁目あたりはほとんど訪れた事のないエリアだった。何があるのかよくわからないエリアだと思っていたけれど、そこは日が傾きだす頃、街灯と車のライトに照らされた男女の艶やかな空気が漂ってはじめて「銀座」になるのだと知った。

それからはショーウィンドウをチェックしたついでに、エルメスの横の道を新橋まで歩くのが好きになった。渋谷や新宿では避けて通っていた夜の街も、銀座はなぜか惹かれるものがあった。そして遅くまでやっているケーキ屋さんでダックワーズを買って、新橋駅までの道すがら歩きながら食べた。

社会人になって自由な時間が減ったことで、いつのまにか銀座から足が遠のいていた。あのお店にも顔を出さないまま数年が経ち、タイミングを失ったまま時間だけが過ぎていった。銀座には何度も行っていたのに、一人で行くことができずにいた。

夜の銀座から足が遠のいて数年経った頃、何かの小説に銀座のバーが出てきたのがきっかけで急にあのお店に行きたくなった。場所が曖昧だったのでお店の名前で検索したけれど、何もヒットしなかった。そういえばHPなんて見たことなかったし、ああいうお店は食べログにも載らないんだろう。Googleでさえ知らない場所を私は知っているんだ、と少し得意な気持ちになった。

行ってみたらきっと思い出すはずだと根拠のない自信を持って、銀座の街に出向いてみる。思い出のエリアへと久しぶりに足を踏み入れ、記憶を辿って路地を歩く。たった数歩で、足が止まってしまった。驚くほど、何も甦ってこなかったからだ。ここはどこだろう。気が遠くなりそうなほど、そこは知らない街だった。眩暈がして、思わずスマホを取り出す。あのお店の隣にあったカフェの名前がかすかに蘇り、検索窓に打ち込んだ。住所とビル名が引っかかり、Googleマップを頼りにお店を目指す。そのカフェはすでに閉店しているという情報に、一抹の不安を覚えながら。

Googleマップは、目的地への道のりを一直線に示してくれている。住所が正しければこの青い線はお店に続く道のはずなのに、歩けども歩けども風景に見覚えがない。私の記憶が薄れてしまったのか、街並みが変わってしまったのか。きっとその両方ともなのだろう。あの頃の思い出を背中合わせにして、私も街も前に進んで行ってしまったのだ。

地図のピンと青い丸が重なる場所にたどり着き、上を見上げて愕然とした。見たこともない真新しいビルがそこにはあった。知らない風景を通って、知らない場所にたどり着いた。狐につままれた気分とはこういう感覚をさすのだろうか、と思った。

閉店しているかもしれないとは思ったけれど、ビルごとなくなっているとは想像もしていなかった。レトロな看板を掲げる小さなお店がぎゅっと詰まったあのビルが好きだった。お店がなくなっていたとしても、止まるたびにガタッといって少し不安にさせる古いエレベーターに乗って、お店の前まで行ってみようと思っていた。文化財として保護されるような立派な建物ではなかったかもしれないけれど、何十年も銀座の灯りを支えてきた歴史が、ビルごとなくなるとは思ってもみなかった。あまりに信じられなくて、しばらく亡霊のように新しいビルの周りを彷徨いながら、あの頃の残り香を探した。

ビルが取り壊されたという情報は出てくるのに、そこにあったお店の情報は何ひとつインターネットの海からは出てこなかった。5年ほど前までは、随分前に受けたというオーナーのインタビュー記事がヒットしていたはずだった。どんなワードを入れても出てこなくなってしまったのはきっと、掲載元のメディアがなくなったりGoogleが不要な情報と認識して表示しなくなったからなのだろう。

あのお店はたしかにそこにあったのに、もはや私の記憶の中にしか存在しない場所になってしまった。そう実感した瞬間、急に心もとなくなって子供のように泣いた。数本路地を挟めば見慣れた大通りに出られることはわかっているのに、知らない場所でひとりぼっちにされた気分だった。夜になれば少しは思い出すこともあるだろうかとしばらく立ち尽くしていたけれど、雨が降り出してきたので仕方なく帰ることにした。本降りにならないうちに帰ろうと早足で駅に向かう。その途中、懐かしいケーキ屋さんが目に入った。あの頃とまったく同じ佇まいに吸い寄せられるように、重たいドアを押した。

店内に入った瞬間、当時とまったく同じパッケージのダックワーズが目に入った。いつも買っていたのと同じフレーバーを買い、店を出る。歩きながら一口齧ってみたけれど、味が同じかどうかまでは思い出せなかった。そもそもダックワーズはそのお店の主力商品でもなんでもなかったし、強く印象に残るような味でもなかった。それでも一口齧るごとに当時と今が少しずつ接着されていくのを感じて、また泣いた。

街は今や、私たちを置き去りにするスピードで変化し続けている。便利になることも、新しくなることも、綺麗になることもすべて「いいこと」で、私たち自身もその変化を追うことを楽しんでいる。けれど、その変化があまりに早すぎて、喪失を受け入れられないまま立ちすくんでしまうことがある。上塗りされていく土地の記憶の中から、どうやって「自分の思い出」を引っ張り出したらいいのだろう、と途方に暮れてしまうのだ。

いつか自分も年老いて段々と思い出せなくなり、記憶の中の風景も曖昧になっていくはずだ。自分ひとりしかその思い出の証人がいないとしたら、どうやって思い出と幻の区別をつければいいのだろう。私がたしかにそこに存在して泣いたり笑ったりふざけたり叱られたりしたこともすべて、幻になってしまうのだろうか。

私はまたいつか、思い出の場所を失くして泣くだろう。そして私が生きている間だけは思い出が思い出のままで存在しつづけられるように、時折記憶から取り出しては泣いて思い出を抱きしめるのだろうと思う。

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