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誠実であるためには、悩み続けなければならない

「正しい」とは何なのだろうか、と考える機会が増えた。

自分にとっては正しく見えることも、他の人にとっては間違いに見えたりする。SNSがその違いを可視化させたことで、自分が信じてきたものは本当に正しいのだろうかと揺さぶられる機会が増加したように思う。

一般的に、悩んだり迷ったりすることはネガティブに受け取られることが多い。そんな時間があったら行動した方がいい。何があっても信念を貫くことで人はついてくる。だから悩んだり迷ったりする時間は無駄なのだと。

たしかにうじうじと考えているだけでは何もものごとは前に進まない。しかしこうも思うのだ。

「自分を疑う時間を持つことこそが、本当の意味での誠実さなのではないか」と。

手法としての正しさなら、ある程度最適解も存在する。売上を増やす方法も、難関大学に合格する方法も、正攻法のセオリーがある。しかし「何を目指すべきか」「どうあるべきか」というあり方としての正しさには、正解もお手本も存在しない。

だからこそ、「あり方としての正しさ」は迷いと悩みを生む。

ほんの数十年前まで、人類は手法としての正しさを追うだけで精一杯だった。明日食べるものを得て、来年も食べられるように準備をする。そのためにいかに確実性と効率性を上げるかを考え、知恵を連綿と受け継ぐことで生活を飛躍的に改善してきた。

しかしテクノロジーの発展によって余暇時間が増えたことで、あり方としての正しさを考える余裕を持つ人たちの割合も高まっていった。以前なら哲学者同士でしか行われなかったような議論が、より広い範囲で発生するようになった。

消費においてエシカルやサスティナブルへの関心が高まっているのも、いかに生活をよくするかという「手法としての正しさ」からいかによく生きるかという「あり方としての正しさ」へと価値観がシフトしていることが根底にあるように思われる。

この流れを受けてソーシャルグッドを標榜するブランドも飛躍的に増えたが、その中にはエシカルやサスティナブルを謳うことで人気を得よう、売り上げを増やそうという「手法としての正しさ」が紛れているケースもある。自分たちで悩み苦しんだ末に生み出した信念ではなく、世の中の潮流を見て付加した正しさは言動の不一致を生み、不誠実なブランドという烙印を押される。

老舗が経営について語るとき、彼らのほとんどは手法ではなく姿勢の話からはじめる。特に「いかにして理念に立ち返ったか」「理念をどう自分なりに解釈したか」を丁寧に説明する。

自分たちはなぜ社会に必要とされているのか。その意義さえ定まれば、選ぶべき手法もある程度決まってくるからだろう。

今日を乗り越え、明日を生き延びるためには、あらゆる決断をハイスピードでこなしていかなければならない。しかし長く続くブランドは、自分たちの意義や信じるものが正しいかどうかに迷い悩む手間を惜しまない。手法ではなくあり方に悩む時間は、決して無駄ではない。

誠実であるためには、自己批判の精神が不可欠だ。過去の自分の言動や決断は果たして正しかったのか、自分の信じるものは本当に正しいのか。自分を疑うことを忘れた瞬間に、人としての堕落が始まる。

世界は問題に溢れているし、とても複雑で難解なので考えることを放棄してしまいそうになることもある。考えないことはとても楽だ。しかし楽をするために思考停止の隠れ蓑として「信じる」という綺麗な言葉を使う危険性に、私たちは自覚的であらねばならない。

信念を曲げることなく突き進む姿は一見誠実に見えるが、ともすると自分のエゴだけで他者を動かそうとする暴力性を孕んでいることもある。

だからこそ本当の意味で誠実であるために、私たちは自分の信じるものが本当に正しいのかを疑い、自分にとっての「正しさ」を新しく更新しつづけなければならないのだと思う。

表面だけの正しさに惑わされないために。今の私たちに必要なのは、立ち止まって迷い、悩み、多面的に考えるための時間と心の余裕なのかもしれない。

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!