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あなたが代わりに「怒ってあげる」必要はない。

「LGBTの人への冒涜だ!」と大炎上したフジテレビの保毛尾田保毛男問題。

ネット上でも様々な意見が飛び交っていましたが、私はミッツ・マングローブさんの「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」というコラムに一番共感しました。

何はともあれ、『差別的なものに蓋をする』だけでは、何の意味もないことにそろそろ気付かないと。『多様性への理解と配慮』なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、『普通じゃない人が隣にいる違和感』を、自分なりに分別し咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと。(「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」より)

こうした炎上を目にするたびに違和感があるのは、当事者ではない人たちが「代わりに」怒っている事例が多すぎること。

今回の保毛尾田保毛男ネタについても、例え自分がLGBTに該当しなくてもキャラの見た目が嫌だとか、自分が不快に思ったということを意見するのは自由だと思います。

しかし、実際には「この表現はLGBTの人の気分を害すると『思う』」といった意見が多いように感じるのです。

そして大抵、あらゆる炎上はこの「代わりに怒っている人」によって引き起こされています。

キングコングの西野さんが絵本を無料公開した時も、否定的な意見を主張していたのはクリエイターではない会社員の人や、趣味で絵を描いている人が大多数の印象でした。プロのクリエイターであれば、まず無料で仕事を受けてポートフォリオに活用したり、事例づくりのために安く受けることは当たり前なので、無料公開の理論はすんなり理解できるからです。

この「代わりに怒ってあげる」というのは、その人の優しさの表れだと思います。でも、自分が被害を受けたわけでもないのに必要以上に誰かを攻撃するのは、結果として誰かを苦しめることに他なりません。

平和のためにあるはずの宗教同士が、お互いの教義を巡って戦争をはじめるのと同じ、本末転倒になってしまいます。

疑問をもつことは大切だし、その疑問こそが正しい理解につながることもあります。

だからこそ、自分が当事者でもないのに怒りを感じた時には、一瞬冷静になって怒りではなく疑問に変換できないかを考えるべきだと思うのです。

怒りの意見は怒りの反論しか呼び込まず、建設的な議論になりにくくなってしまうからです。

傷ついた人の心に寄り添うのは優しさの証。
でも「この人が傷ついた『だろう』」という想像は、往々にして誤っていることもあるし、一緒に悲しんで寄り添うだけでも十分のはず。

自分が怒って傷つけた人の後ろにも、その人を愛しているたくさんの人がいることを忘れずにいたいと思います。

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(Photo by ikepon

ラブグラフの応援も込めて、表紙写真にラブグラファーさんの写真を使用させていただくことになりました!写真使ってもいいよーという方はご連絡ください:)

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!

コメント1件

素晴らしい思考。感服しました。
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