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私が気になる人に必ず聞くこと。

直接会ったり話したりしなくても、好きになりうるかどうかはその人が書いたものを読めばだいたいわかると思っています。

数千字を費やしたきちんとした文章でなくても、SNSに投稿されているちょっとしたひとことでもいい。

どんな単語を使い、どんな言い回しをして、どう文章を構成しているのか。
それが事前にわかっていれば大きく外すことはないのではないかと思います。

逆にどんなに人気がある人でも、文章を読んでしっくりこない人はそもそも会いたいとすら思いません。

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とはいえ、会う可能性がある人全員の文章を事前に読むのは難しいので、気になる人に必ずする質問があります。

それは「好きな本はなんですか?」というもの。

人の体が普段口にしているものから作られるように、人の心は普段受け取っている情報から作られています。

好きな本や作家、よく読む雑誌やWebメディアといった情報は、好きな食べ物や趣味といった情報よりも色濃くその人のパーソナリティを反映するものです。

そして人が文章を書くとき、その表現や思想がそれまで読んできたものの枠をでることはありません。

だからこそ、書かれた文章を読むか普段読んでいるものを聞くことで、自分と合う/合わないを判断できるのだと思います。

相手がひとつの単語をどう捉え、どんな文脈で使っているのか。
それこそがその人の世界観です。

言葉はあくまで容れ物でしかなく、そこに注ぎ込まれている"意味"という中身は実は人によって違うもの。

その感覚が近い相手に、人は好意を持ちやすいのではないかと思います。

田村隆一の「帰途」という詩はまさに、感情や思想が言葉の枠から離れては成立し得ないことをわかりやすく語っている作品です。

帰途

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

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人が言ったり書いたりすることの中で、その人だけの独特のものの見方やアイデアなんてそうあるものではありません。
すべてなにかの焼き直しであり、どこかで聞いたり読んだりしたことをつなぎ合わせているにすぎない。

でも同じことを書いていても、他の誰かが書いたものでは何ら心が動かなかったのに、ある人が書いたものを読むとストンと腑に落ちるということがあります。

それは一度その人の中で言葉を取り込み、自分の思想の中に混ぜて再定義した、"その人の言葉"で書かれているから。

自分の言葉で書く、というのは、言葉を通して自分の思想に連続性を持たせるということなのではないかと思います。

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ちなみに私は一番好きな作家が三島由紀夫なので、同じ三島好きの人が書いた文章はスッと入ってきやすい傾向があります。

この人は好きだなあ、と思って聞いてみると「あなたもミシマーでしたか!」となることが多い。

やはり普段読んでいるものが近い人は思想も言葉の定義も近いので、コミュニケーションがスムーズに進むのかなと思います。

でも文筆家の中で一番「実際に会ったらかなり好きになっただろう」と思う文章を書くのは吉行淳之介。

一番好きなのは「驟雨」ですが、軽いエッセイのちょっとした言い回しもウィットに富んでいて好みです。

・幸福そうに見える人間は腹立たしい。不幸そうな人間も、鬱陶しい。
・健全なる肉体にしばしば単純なる精神が宿りやすい。
(「男と女をめぐる断章」より)

あとはこの発言も吉行らしくて個人的に大好きです。

・女性は、お菓子で夢見心地になるくらいが可愛げがあってよい。男性にとっても、便利である。

現代でこんな発言をしたらいたるところからお叱りの声が飛んできそうですが、私は「言いえて妙だな」とある意味スカッとした印象すら持ってしまいます。

他にも星新一だったり池波正太郎だったり、好きな文章を書く人はたくさんいるのですが、ふと気づけば好きな人が軒並み故人ばかりだと気づいた初秋の夜…。

これからは存命の方を中心に、好みの文章を書く人を発掘してまいりたいと思います。

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