見出し画像

過去の自分を、恥ずかしく思える自分でありたい。

昔の自分が投稿したツイートを見せられて、あまりの恥ずかしさに舌を噛んで死のうかと思ったことがあります。

Facebookも半強制的に昔の自分の投稿を掘り起こしてくれるので、朝から気絶しそうになることがあります。

日記もプリクラ帳も卒業文集もなにもかも、過去のものを見返すと「あちゃあ」と思うことばかり。

きっと今こうして書いているものもすべて、5年、10年後の自分は頭を抱えながら読むことになるのでしょう。

***

でもそうやって「あの頃の私はなんてバカだったんだろう!」と思えることは幸せなことでもあると思います。

そう思えるようになったのは南場さんの「不格好経営」を読んだことがきっかけです。

南場さんほどの人でも、いまだに過去の自分はなんてバカだったんだと感じることが多々あるそう。

でもそれは同時に自分が成長している証拠でもある、逆に過去の自分をバカだと思えなくなったら終わりだ、といった主旨のことが書いてありました。

昔の自分がわかっていなかったこと、知らなかったこと。
それらを吸収して一回り大きくなった"今の私"だからこそ、過去の自分を恥ずかしく思うことができるのだと。

***

私たちは日々、たくさんの情報に触れています。

昨日まではAだと思っていたことも、ある情報を受け取ったことで正反対のBになることだってあるし、ちょっと立場が変わるだけで気づくこともたくさんあります。

自分が与えてもらう側にいたときに抱えていた不平不満も、与える側になった瞬間に見方が変わって「あの時はなんてわがままだったんだろう」と反省した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

つまり過去の自分を恥ずかしく思えるということは、今の自分がより高いところに登っている証拠であり、一回り大きくなった証拠ともいえます。

そしてそれは、後から頭を抱えるほど恥ずかしくなることがわかっていても形として残していくべきものだと思います。

たった1年前ですら、自分が考えていたこと、目指していたもの、悩んだこと、すべてあっというまに忘れてしまうのが人間です。

だからこそ柱に身長の伸びを記録するように、どこかに自分の成長を刻み付けていかなければならない。

それがこうしたブログサービスの人もいれば、もっとアナログな手帳や日記帳かもしれないし、もっと別のかたちの人もいるかもしれません。

ただなにかかたちに残すことで、過去の自分と今の自分の差を感じられれば、小さくてもそのひとつひとつが自信につながっていくのではないかと思います。

***

大人になると、目に見える成長の証を作るのが難しくなります。

センター試験にお守りとして持って行った真っ赤な単語帳のような、決勝戦の大舞台でじっと見つめたマメだらけの自分の手のような。

そういう"重ねた努力の証"を日々の仕事の中で感じることは難しい。

だからこそどんなにアホらしくても、こうして考えたことや感じたことを書き留めて、後から「バカなことを…!」と恥ずかしく思い続けていたいと思います。

noteをちゃんと書こうと思った時にひとつだけ決めたルールは
どんなに恥ずかしくなっても、書いたものは消さない」。

毎年毎年「◯歳の私はこんなことを考えていたんだなあ」と笑いながら、年輪のように時間を重ねていきたい。
そう思いながら日々このnoteを書いています。

明日はまた新しい年輪の1日目。
5年後、10年後の自分が「バカだなあ、でも本当に楽しそうだなあ」と笑って思い出せるような、そんな1年にしていきたいと思います!

サポートからコメントをいただくのがいちばんの励みです。いつもありがとうございます!