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「応援する人」になる覚悟

これまでは応援してもらう側、アドバイスをいただく側だった私も、徐々に応援する側、アドバイスする側として関わる機会が増えてきました。

そうした経験を重ねるにつれ、一見簡単そうに見える「応援する」という行為も、実は無償のGIVEと我慢をどれだけ続けられるかという人間力が試されるものなのだと気付きました。

コミュニティデザイナーの役割は、人と人、“楽しさ”と“課題解決”をつなぐこと――studio-L・山崎亮さん」という記事の中で、「よそ者」としての関わり方について説明されているのですが、このスタンスで関わっていける人はほんの一握りなのではないかと思います。

明確にひとつ、意識していることがあります。それは、よそ者である自分たちが「これをやりたいです!」と言わないことです。「そんなん必要ない!」「アンタが勝手にやりなはれ!」と突き放されてしまいますから。
(中略)
僕らはむしろ、“よそ者”というスタンスを守らなければなりません。そこに住んでいるわけではない、いつかいなくなる存在ですから。 “よそ者”として、住民が地域の課題に目を向け、自発的かつ持続的に活動できるようなきっかけを提供していく。それが、コミュニティデザイナーの役割だと思っています。

よく「いいコンサルタントは相手に寄り添いすぎない」と言いますが、自分が当事者でない以上、線引きを明確にして相手が自走できるように促していくということが外部の人間がやるべき仕事なのだろうと思います。

とはいえまさに言うは易く行なうは難しで、あらゆる事例を知っていると、失敗するポイントやこうした方がいいというフォーマットが見えてきてしまいます。

失敗するとわかっていても、行動に移すことを促すべきなのか。

どこまでフォーマットに忠実であるべきなのか。

自分が関与する度合いは、毎回悩むことだと思います。

特に思うようにいかないとき、自分がやった方が早い!と手を出してしまうという経験は、誰でも一度ならずあるのではないでしょうか。

当事者に遠回りさせてでも見守る力と、思い通りにいかないことを投げ出さない力。

「応援する」ということは、「自分でやる」と同じくらい、むしろそれ以上に高度なスキルが必要とされます。

「応援してるよ」「手伝うよ」という一言は、あいさつのように気軽に言ってしまいがちですが、本当に相手のことを思うなら、覚悟をもって応援しなければならないのだと思います。

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(Photo by tomoko morishige)

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