「学校」をちゃんとこなした昔の私に、伝えたいこと。
私にとって、学校はあまり楽しい場所ではなかった。
別にいじめられたわけでも、嫌なことがあったわけでもないけれど、なんとなく「馴染めないな」という感じをずっと持っていた。
同学年の子たちと遊ぶより先生たちと話す方が好きだったし、自分が納得いっていないルールに従わされるのも嫌だった。
「子供ってつまんない。早く大人になりたい。」とずっと思っていた。
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子供にとって、学校という社会は人生のすべてだ。
特に田舎育ちの子供は、どこに行っても学校の人間関係から逃れられない。
習い事も、親同士の交友関係も、いつまでもどこまでも、学校でのヒエラルキーから逃れられない。子供に、サードプレイスなんてないのだ。
でも私はラッキーなことに、「本」という別の世界を持っていた。
現実の生活は面白くなくても、本の世界に入ってしまえばそこは自分だけの自由な空間だ。
そして私は本を通して、大人がとても自由なのだということも知っていた。
大人になれば自分で好きなものが買えるし、好きなところに行けるし、好きな人たちと時間を過ごすことができる。
だからとにかく早く大人になりたかった。
自分の自由になるお金と、時間がほしかった。
そして大人になった今、あの頃の私にこう言ってあげたい。
「あなたの考えは正しい。
大人は、自分の足でどこまででも行ける自由を持っている」と。
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ただ、ひとつだけ昔の自分に追加で教えてあげたいのは、その「馴染めない感じ」こそが世界を変えるということだ。
周りを見渡してみても、世の中を変えるエネルギーをもつ人は、幼少期にこうした違和感を抱えてきた人が多い。
もしかしたら起業家やアーティストの根底には、幼少期に満たされなかった何かを満たすために、自分にフィットする社会を作りたいという思いがあるのかもしれない。
例えば、太宰治は満足や幸せを極度に恐れた人だった。
世間というものに馴染めない、幸福を知らない自分だからこそ書くべきもの、自分にしか書けないものがあると知っていたからだ。
幸福が、人を鈍くすることを知っていたのだろう。
「何か足りない」からしか、新しいものは生まれない。
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私は根本的に社会の常識に抗うルールブレイカー的な性格なので、大人になった今も学校的なものにうまく馴染めない。
誤解を恐れずに言えば、楽しく順風満帆な学校生活を送ってきた人とは深いところで理解し合えないと感じることもある。
孤独への向きあい方、極端に突き詰めすぎる思考方法、思いついてから実行までのスピード感、そのあたりの価値観がまるっと違いすぎて、どちらも悪くないのにこのままだとお互いを不幸にしてしまうな、と思う瞬間が少なからずある。
本物の学校に通っていたときは、それらはすべて自分の悪いところだと思っていた。
「変わってるね」という言葉は、子供時代の私にとって褒め言葉ではなかった。
それはつまり「あなたは "私たち"とは違う」という線引きの言葉だと思っていたから。
でも大人になった今、そういう「人とちょっと違う」を生み出してしまう自分の性質こそが、評価される世界もあるのだということに気づいた。
むしろ、自分の中の違和感は持とうと思って持てるものではないから、私はそういう星のもとに生まれてラッキーだったなとすら思う。
子供のときに抱えていた違和感という負債は、大人になった今、自分の財産になっている。
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ここ数年で、夏休みが終わる時期に「いじめられている君へ」という文章が世間を賑わすようになった。
でも当時の私のように、別に嫌なことがあったわけではないけれどあまり学校が好きではない、行きたいとは思わないけれど子供なりのプライドから「行かない」という選択はしたくない、という子も一定数いるんじゃないかと思う。
そういう子たちに私は、「変わってるね」とは言いたくない。
「当たり前を疑う思考をもっているのはすごいことだよ」と言ってあげたい。
「その違和感は、あとで大きな財産になるよ」と教えてあげたい。
学校に行かない、家に帰ってこないという行動にいたっていないから見えないだけで、学校の人間関係に息苦しさを感じている子はたくさんいるはずだから、それはあなたが悪いのではないと伝えてあげたい。
私は幸せなことに一度も「死にたい」と思ったことはないけれど、それはきっと、大人になれば今よりもっとずっと幸せになれるという希望があったからだ。
閉塞的な田舎町で育った私が「大人は自由だ」という確信を持っていたのは奇跡に近いことだが、私はその希望のおかげでここまでくることができたので、1人でも多くの子に大人への希望をもってほしいと思う。
そして早く大人になりたい子は、先生や親以外の大人と交わる世界をもって、自分が憧れるような大人にたくさん褒められて、尖った大人になっていってほしい。
自分がたくさん回り道したからこそ、同じような子たちが環境のせいで燻ってしまう期間を、できるだけ短くしてあげたい。
そのためにも、私の「昔があったから今がある」という言葉が誰かの支えになるように、これからの自分を丁寧に作り上げていかなければいけない、と思う。
自分自身を幸せにすることが、誰かの希望になり、その希望が幸せにつながっていく。
恩送りというのはきっと、そんな幸せの連鎖のことなのだ。
(Photo by tomoko morishige)
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